新聞は、人間が生きていくための羅針盤。

悪魔 アーティスト/デーモン閣下

    PROFILE

    悪魔。アーティスト。萬(よろず)ご意見番。和の伝統芸能との共作活動を30年間超展開中。「邦楽維新Collaboration」は77公演、「能舞音楽劇『義経記』」は20公演を数え、上海万博では「文化交流大使」も執務。魔暦19(2017)年秋48作目の音楽作品集「うただま」を発表。魔暦20(2018)年秋は「THE “BIRTHDAYS” ROCK TOUR」公演を予定。広島県がん検診啓発特使、早稲田大学相撲部特別参与。

    写真 デーモン閣下

    知りたくなったらパッと開く

    我輩に言わせれば、時事的な情報をまとめて読むのに便利なのは新聞。「あのニュースってどうなってたっけ?」と思った時に新聞を開けばだいたいそこに整理された記事が載っている。前日の相撲の結果を見たい時も新聞の出番。相撲に限らず、テレビでは選手コメントがカットされやすいので、選手が何を言っていたのか気になった時はすぐに新聞を手に取るのだ。

    もちろんインターネットも使う。気になったことがあると、侍従(マネージャーのような者)に検索させているのだ。この前、弁当に使われている魚の名前が珍しかったので調べたら、なんと深海魚だということがわかった! 昔だったら諦めていたことをすぐに検索できる、便利な時代になったものだ。

    ただし、インターネットは情報量が多すぎて、知りたい情報の最適点までたどり着くのに時間がかかってしまうこともある。その点、新聞は編集力のある人間がポイントを正しく整理しているので、どんな情報が載っているのか一目で分かるし、欲しい的確な情報を探しやすい。時間があればついでに隣の記事も読んだりできて、それが案外「へぇ〜!」という内容だったりして知識の幅も広がる。“知りたくなったらパッと読める”、これが我輩にとっての新聞の強みだな。

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    開いてみれば、なにかある

    1日に新聞を読む時間は、平均したら10分かからないくらい。でもそれで充分。テレビのニュースや情報番組より圧倒的に情報量が多いので、見出しをパッとさらうだけで世の中の状況が概ね分かるのである。

    特に国際関係のニュースは、テレビより充実しているな。一時期あれだけ騒がれていた北朝鮮に関するニュースも、今テレビではほとんどやっていないが、新聞ではコンスタントに載っている。他にも興味深いのは、テレビ欄から1枚めくったところの社会面だ。「1面」に書ききれなかった本日の重要ニュースに関するサイドストーリーや、識者のコメントが載っている。

    新聞の面白さとは、堅い話だけではないところ。たとえば、ほとんど雑談で話すようなたわいもないテーマについて読者同士で意見交換している日曜掲載の「Reライフ」面など。これ、実に娯楽的で深い内容だぞ。場合によっては広告ですら、新しい世界を見せてくれる。最近やっている美術展も、我輩は新聞で知ったのだ。

    新聞はニュースしか載っていなくてつまらない、という固定観念を持っている人は多いと思う。しかし、10年前だとか20年前と比べたら、見せ方が全然違う。新聞はけっこうヴァラエティ豊かで、開いてみればなにかしらの「欲しいもの」がある。我輩も、地方でのコンサートの際は地方紙でトークのネタを探すことが常だ。

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    受け手の未来のためにニュースはある

    最近は災害のニュースが出た際、被害状況を整理したくて新聞を活用していた。もちろんテレビでも見られるのだが、こちらが頭で整理できないうちに話題が次へと行ってしまうのが泣き所。その点、新聞は自分のペースで読めるので、情報を整理したり、深掘りしたりするのに向いているな。

    今は、情報が氾濫し、ともすれば右から左に通過して行きがちの時代。情報の整理も難しい。しかし「そもそもニュースとは何のためにあるんだろうか」と考えてみて欲しいのだ。

    例えばどこかの学校で事件が起きたのを、テレビのニュースや新聞で知ったとする。すると諸君は、「学校には警備員が必要だ」とか「警官が交番を出る時は裏口に注意するべきだ」とか、無意識に考えながら見たり読んだりするだろう。

    すなわち、世の中の出来事を自分に置き換えて、何を学び、 何に注意しながら生活すべきなのかを考えさせてくれる。だからニュースとは、受け手の未来への指針のためにあるものだと言っても良いのだ。まるでその人間が生きていくための、羅針盤のようにな。少なくとも我輩は、そういう意識で新聞を読んでいるのだ。ま、我輩は悪魔だから人間の未来を心配する必要はないのだが。ガッハッハ〜!