programmer02.jpg ありのままを言ってしまえば私は不登校児でした。

中学3年の頃にクローン病という難病にかかり、普通の生活から入退院を繰り返す生活になって学校に通うどころではなくなりました。

授業にまともに出られないのだから当然成績なんてひどいものです。試験を受けてもまったく知らない単語が並んでいるので答えようもありません。試験中にふてくされ、あまりに暇なこともあり、解答用紙に落書きをして先生にひどく叱られました。

そのうちにバカらしくなって学校に通うのを放棄するようになりました。体調が良かろうが悪かろうが学校を休みます。週に数日行ったところで授業の内容なんてわかりっこないですし、面白くもなんともありません。それなら無理に通わずに家で好きなことをして療養していたほうがましです。

私がPCを触り始めたのはその頃でした。暇を持て余してオンラインゲームを始め、ウェブに触れ、友達ができ、毎日やり取りをするようになりました。

当時のウェブは今とは比べものにならないほど未発達で、mixiやTwitterやFacebookのようなSNSが使われるよりも少し前のことです。ブログはありましたがまだ使っている人は少数派でした。

代わりにその頃に主流だったのは個人サイトです。有名でもなんでもない一個人がサーバを借りてFTPでファイルをアップロードして自分のウェブサイトを作り、そこに自分の日記を書いたり写真を載せたりしていました。

その為に皆ホームページビルダーという高価なソフトウェアを使っていましたが、中学生の私にはとても買うことはできません。なのでウェブで検索しながらHTMLとCSSを学び、簡素ながら自分の個人サイトを立ち上げました。自分の日記、考えたことをまとめた小論文、読んだ本の書評などを掲載して少ないながらも読者を得て、サイトに設置した掲示板やチャットで交流がありました。

現実世界では学校にも通わずにゲームばかりしていた私が生意気にも自分の考えを発信するということが新鮮であり痛快でした。

これが私の初めてのウェブでの創作活動です。

プログラミングこそしませんでしたがこのときのウェブの原体験は自分の中に強く残り、具体的ではないにせよ将来もウェブを使って自分の作品を公開できるようなものを作りたいなと思いました。そうして私は井戸に落ちて頭上の光明を眺めるような心持ちでウェブというものを見ていました。

自宅での静かな生活は続き、高校2、3年はほとんど学校に通っていません。出席点が足りないので本来なら留年させられるところでしたがお情けで卒業させてもらい、何とか受験して合格できた千葉の大学に進学することになりました。

学科は情報科学科です。けれども期待したほどはプログラミングの授業は多くなかったので、代わりに本を読んで独学でPerlを学び、簡単なCGIプログラムを書くようになりました。

大学は3年でつまらなくなって中退しましたが、プログラミングの楽しさを知って今でもこうしてプログラマをしています。

オープンソース活動

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プログラマが普段どのように活動しているか気になる人も多いと思います。

世間での印象から言えばプログラマは内向的でずっとPCと向かい合っているように思うかもしれません。しかしプログラマはとても社会的な生き物だ、と言ったら驚くでしょうか。

優秀なプログラマはプログラムを書くことが好きな人が多く、休日にも好きなプログラムを書いて過ごすという人は珍しくありません。

まずは自分が欲しいなと思ったプログラムを書き始めます。書き終わって満足するとそのプログラムを他の人にも使ってもらいたいと考えます。それを無償で公開します。自分以外にもそれを使う人が出てきます。自分が使っているときには気づかなかったような改善点なんかが浮かび上がってきます。そうして次第にそれを一緒に改善しようという人が出てきます。

このようなプログラムを「オープンソース・ソフトウェア (OSS)」と呼び、企業や国を越えたプログラマたちの活動が日夜行われています。

なんで自分が苦労して作ったプログラムを無償で公開するのか不思議に思いますか。これには複合的な思惑がありますが、特にプログラマたちが持つ、技術や知識、情報は平等に得られるべきものである、という理想主義とも言える思想と縁が深いものだと思います。

私が幸運だったのは、初めて得たプログラミングの仕事がOSSの開発だったことです。手嶋屋という会社ではOpenPNEというOSSを開発しており、自分の書いたプログラムが不特定多数に公開されるという経験からキャリアが始まったことは私の人生を方向づけたと言っても過言ではありません。

それから私はいくつかの会社を転々としましたが、オープンソース活動は変わらず続けました。特にCommon Lispというプログラム言語では大変評価してもらっていて、GitHubというサイト上での累計スター数はここ数年の間世界ランク1位になっています。まあ指標の一つでしかありませんが、さまざまな国の人に使っていただいているようで、ときどき「Thank you!」という励ましのメールをいただきます。

fukamachi2.jpg ▲2015年、ロンドンで開催されたEuropean Lisp Symposium (ELS)で発表した直後の様子。(右から2人目が私)

また、プログラマが社会的な生き物だというもう一つの根拠に定期的なイベントの開催があります。

「勉強会」や「カンファレンス」などと呼ばれるイベントが各地で開催されており、プログラマが自由に集まってテーマに沿った発表をすることで技術を一緒に学ぼうというものです。毎日のように全国各地で勉強会が開かれており、スポンサーとしてそのための場所を無償提供する企業もいくつもあります。

海外でも同様のイベントは開催されていて私も何度か参加しました。2015年にロンドンで開催されたEuropean Lisp Symposiumでは私も登壇して自分が作ったソフトウェアを紹介しました。私の拙い英語での発表はたどたどしいものだったでしょうが、それでも海外のプログラマから素晴らしい発表だったと言ってもらえたときの感動は今も忘れられません。

さまざまな職場と文化

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そろそろ仕事の話もしましょうか。

プログラマという職業についてのよくある不安をいくつか聞いています。ブラックな職場が多いのではないか、稼げるのか、恋人ができないのではないかなど。

これは職場によるとしか言えません。

たとえば私が以前働いていた会社では2時間程度の残業ならば当たり前で手取り月収は14万でした。当時の大卒の新卒の平均月収が18万程度だったことを考えると著しく低い額ですが、好きな仕事だったので我慢しました。満員電車は嫌いでしたが、都内に住めるほどの給与ではないので神奈川から電車で1時間かけて通勤していました。家に着くのは早くても22時で疲れて寝るだけの毎日でした。次第に仕事もプログラミングも嫌になってきて、退職直前はプログラマを辞めようかとも考えていました。

結局耐えられずに1年で退職して同業種の同規模の会社に転職しました。手取り月収は24万で残業はほとんどありませんでした。会社の近くに住んでいたので通勤は徒歩5分でした。1日が長く、家に帰って好きなプログラムを書く毎日でした。

職を転々とすることに関してネガティブなイメージを持っている人もいますが、私は必ずしもそうは思いません。この業界は人材流動性が高く待遇の良い企業には人が集まり、悪い企業は優秀な人材から順に人が辞めていきます。それは長期的にプログラマの待遇改善にも役立つことです。

この仕事は簡単ではないし苦しめられることも多くあります。でもプログラミングは本質的に挑戦的で楽しいものです。なのにプログラミングをしていてつらいなんておかしいじゃないですか。それを我慢して会社にこだわる理由はあるでしょうか。

プログラマになるということ

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プログラマになるということ自体はとても簡単です。

特殊な資格が必要なわけでもないし、未経験でも雇用してもらえる企業も多くあります。不登校児でも、持病があっても、プログラミングを始めるのが人より遅くても、大学中退でもこの業界は寛容です。

一方で難しいと思うのは良くも悪くもどのように生きるかを自分で決めなければいけないところです。

とりあえず就職してみたけど自分の仕事に自信が持てずに将来の不安を抱えている知人も多くいます。自信というものは自分でリスクを取って何かを成し遂げたという成功体験からしか生まれません。何が作りたいのか、どう働きたいのかを考え、とにかくプログラムを書き続けた結果が今の私だと思います。

いつまでもプログラミングをしてわくわくすることがしたい。その気持ちはずっと忘れずにいたいものです。

深町英太郎

(編集:富澤友則)

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