就職活動

シューカツ見聞録

三浦さん

福島県出身。立教大学社会学部卒。
子どものころから文章を書くのが好きで、新聞やジャーナリズムに興味を持っていた。Uターン就職で東京を離れるのはちょっと心残り。「大学生活があまりに楽しすぎたので」

第4章 地元に帰ろう(下)

「怒りを持て」

大学では社会学部メディア社会学科で、メディア研究の教授のゼミにも所属。部活はスポーツ新聞部と、高校時代に漠然と抱いていた記者になる夢を実現するためのような学生生活を送ってきた。でも、何の迷いもなく、まっしぐらだったというわけでもない。

就活前に自己分析もしてみた。すると、案外、自分自身の考えをそれほど強く持っているわけでもなく、他人が持っている志をサポートすることが得意だと分かった。これって、自分自身を前面に押し出すことが大事な記者とは正反対の性格ではないか?

振り返ってみれば、小中高と部活やクラスで結構リーダー格ではあるのだけど、自分の理念をみんなに示してぐいぐいと引っ張っていくタイプというよりも、みんなの意見の聞き役に回って全体を調整したりまとめていったりすることが多かった。

自己分析は「調整型リーダー」

高校時代の弓道部では、副部長。我が道を行くキャプテンのキャラに他の同期や後輩たちがついていけなくなるのを防ぐため、その溝を埋める役割だった。

大学でのスポーツ新聞部では編集長に立候補し、一騎打ちのバトルに。「オレのビジョンはこうだ」という相手と、「まとまりが大事だ」という正反対の自分。マニフェストを発表し、自らのリーダー像をみんなに説明したうえで1カ月以上、みんなで話し合いを重ね、質問を受けながら、どちらを支持するかを投票してもらった。なかなか決まらず、最初は自分への支持が多かったが、だんだんと相手に票が集まり、負けた。

実は、あまり自分の考えにこだわりがないのだ。違う意見を人が言ったら反論したくなるよりも、場合によっては、それに納得して自分の方がブレる気がする。

そんな自分を見透かしたかのように、2年の時から続けてきた「メディア法と表現の自由」が専門のゼミでは、「怒りを持て」とずっと言われてきた。喜怒哀楽の感情で一番長続きするのが怒りであり、その怒りを切り口に、社会問題に関心を持てと指導を受けた。卒論や2,3年次の研究も「怒れる」テーマをと、新聞による食品の放射能汚染に関する記事の比較や、脱原発デモの実態と報道などを取り上げた。確かに、自分の中に怒りがあると本気になって調べようという思いが湧いてきた。

部活でスポーツ新聞の記事を書くのも楽しかったが実は、物足りなさも感じていた。立教スポーツのスタイルは、55団体の部をよい成績を収めた順番に並べる方式だ。マイナーなスポーツ部で頑張っているところには確かに喜ばれる。だけど、話題性とかを考慮して野球やラグビーをトップに持ってきたり、特集記事を組んだりするのは御法度。「これは広報紙であって報道ではないなあ」という葛藤も抱えた。

「書くしかない」

自己分析の結果などから事務の仕事も向いているかもしれない、公務員もいいかなと時には思ったけれど、ゼミのことや自ら作ってきた新聞に向き合った時、結局、ぐるっと一周してマスコミ志望に戻ってきた。大学時代に自信がついたことと考えると、やっぱり文章を書くことしかなかった。

結局、就活で受けた約10社のほとんどが、地元福島のマスコミだった。ほかの業界の就活にはなかなか身が入らなかった。それは、東日本大震災による原発事故の問題が頭の多くを占めていたせいなのだろうか。就活まっただ中の昨年3月は、福島をゴールに全国の学生がリレー方式で日本を一周し、全国の連帯を深めようというイベントの中心メンバーになっていた。おかげで「就活どころではなかった」と、就活について聞かれたらそう言い訳をしたこともある。

その中で、ある在京のベンチャー企業では最終面接の一つ手前まで進んだ。そこでの受け答えを聞いていた人事担当者はこう言った。「あなたの話していること、全部福島のことだよ」。彼は続けた。「あなたは仕事もできると思う。だけど、そんな風に話をされちゃうと、ああ、いつか福島に帰るんだと思ってしまって、採用はできないよ」と。

ふと我に返った。無意識のうちにも、自分は地元福島のことに思いを巡らせ、そのために何ができるのかと考えているんだ。やっぱり私は帰るんだ。ブレることのない私が、そこにはいた。

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