仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「文化の力を炸裂(さくれつ)させよう」
大里 洋吉が語る仕事―2

就職活動

グローバル化への厚い壁

諦め切れなかった世界進出

日本で会社をつくったのは1978年です。すぐ数年後には、以前から目指していた海外への思いが強くなって、まずロサンゼルスとニューヨークに会社を設立し、その後北京、台湾、香港と次々に支社をつくりました。小さい頃からずっと欧米の映画に夢中だったし、大学時代には多少なりとも英語を勉強して、いつかはと思っていたのです。

日本のコンテンツを海外へ出したいという思い、加えて海外のアーティストをマネジメントしたい、グローバルに通用する映画を作りたいというはっきりとした目標がありました。それで、どうすればいいのかと教えを請いに、香港の映画制作会社ゴールデン・ハーベスト(現オレンジスカイ・ゴールデン・ハーベスト・エンターテインメント・グループ)の創始者に直接会いに行ったんです。『キャノンボール』などの世界的ヒット作を幾つも世に送り出しているグローバル会社でした。

創始者のレイモンド・チョウさんに「どうすればグローバルに映画配給ができるのですか?」と聞きながら、一緒に会社をつくりたいと願い出ました。そしてゴールデンアミューズという会社を香港で設立し、10本ぐらい映画を制作しました。さらに、香港のトップ女性シンガーとも全世界契約するなど様々な企画が動き始めました。

やりたいことがはっきりしていれば、あとは動くしかない。臆せずに胸の内を語れば、世界的な人物を相手にしても届くものだということを体験し、僕は次々と新しい仕事を進めていったのです。その頃、アジア最大級の人気を誇る香港の男性グループバンドがいました。日本ではまだマーケットがなかったけれど、1年ぐらい通って彼らを口説き続け、全世界での3年契約を獲得。日本語も学んでもらおうと日本に呼び寄せ、1年近くを掛けて納得のいくアルバムを作り、世界同時発売がかないました。しかしそんな勢いを一瞬にして削(そ)ぐような事件が起きてしまったのです。

大切なアーティストを失う

アルバムの発売わずか1週間後でした。出演したテレビ番組でボーカルが、立っていた場所から約6メートル下まで落下し、床に置いてあった鉄の重しに頭を打ってしまったのです。あらゆる治療を尽くしましたが、8日目に帰らぬ人となってしまいました。

東京で葬儀をし、それから香港でもお葬式をしたのですが、ひつぎが到着した飛行場にはファンが何万人も集まり、葬儀会場でも何万人もが周りを取り囲んでいました。世界中の人を喜ばせたいという思いだけで突っ走ってきましたが、事故とはいえ、結果的にこんなに大勢の人を悲しませることになってしまった。

言葉や文化が違っても、おろそかにしたことは何もない。でも僕は、この時に気持ちがくじけて、グローバルに展開する仕事をやめようと決めました。すぐに全海外の支社を閉じ、外国人アーティストとの契約も全て解除し、極めて内向きな会社にしてしまったのです。90年代半ばのことでした。

その後、さあもう一度世界だ、と奮い立つまでには長い年月が必要だったけれど、一方で日本のエンターテインメントは、ぐんぐんと力をつけていきましたね。(談)

おおさと・ようきち ●(株)アミューズ代表取締役会長。1946年青森県生まれ。立教大学文学部卒業。69年に大手プロダクションの(株)渡辺プロダクションへ入社し、マネジャー、プロデューサーなどを経て78年にアミューズを設立、代表取締役社長に就任。サザンオールスターズや福山雅治を始め多くのアーティスト、タレントを育てる。同社は2006年に東証1部上場。米国、シンガポール、韓国などの海外も含め国内外でグループ会社も運営する。
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