仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「気持ちのままにアクセルを踏む」
丸山 京子が語る仕事―2

就職活動

体験が次の答えをくれた

DJ素人の独り歩き

新卒で就職した1年目に、私はラジオ局などが主催するディスクジョッキー(DJ)のコンテストに興味半分で応募し、運良く準優勝したため、やりたいことに近いと感じて会社を退職してしまいました。何もオファーがあったわけではないのに、OLではなく時間が自由な立場でいようと考えてしまったのですね。

でも、会社を辞めましたとラジオ局に伝えることもなく、とりあえずレコード店でアルバイトを始めました。ラジオの仕事が来るかも知れないのでバイトは午前中しかできませんとわがままを言い、午後は自分磨きだとして映画を見ていました(笑)。そんな行き当たりばったりのある日、DJコンテスト後に1本だけしたラジオCMの仕事でお世話になった女性と、偶然道で再会しました。そして私の現状を関係者に伝えてくださり、何と私はTBSラジオの番組アシスタントの仕事を頂いた。幸運だったとしか言えません。

こうしてマイクの前に立つ世界に足を踏み入れ、素人の私がラジオDJとなりました。DJの学校があるのかどうかも知らず、仕事先でのトレーニングも研修もないまま、放り込まれた現場で、未熟な自分自身が工夫するしかない毎日でした。

DJとして最も長く番組を持ったのはFMヨコハマでの生放送で、アメリカン・スタイルを目指した音楽番組を毎週ほぼ休みなく約4年間担当しました。当日までディレクターの選曲が分からないままに次々と曲を流すスタイルなので、トークらしいことはあまり求められませんでしたが、それでも放送事故を起こしてはならないと、緊張感は大きかったですね。

何しろ自分の力を信じることができないという不安があるので、どこが足りないのか、何を補えばいいのか、周囲の評価はちゃんともらえているのかと悩みながら働きました。でも、それは仕事をする以上は誰もが通る道であり、私としては、やるだけやったという体験が大切だったと今は思います。

裏方が好きかも知れない

一生懸命に仕事をしていても、落ち込むことはしょっちゅうありました。私は1980年代半ばにDJをスタートしましたが、80年代後半あたりから、バイリンガルの若い人たちを起用するFM番組も次々に出てきていました。そのDJの方々がまた、みんな実にうまいんです。DJは顔は見えなくても表に出る仕事であり、タレント的な素養も必要とされます。でも私は、自分が表に立つより、ラジオの番組に来てくださる海外のミュージシャンにお話を聞き、それを通訳する裏方が楽しいと気づいたのです。

ずっとDJこそやりたい仕事だと思って走ってきたのですが、約4年間続けたFMヨコハマの番組が終了した時には、一番好きな仕事は通訳に変わっていました。今、何をやりたいか分からないという若い方が多いですが、誰もが最初からゴールなんて決められない。仕事は、外から見ているよりもずっと細かく枝分かれしています。それを選び取っていけるのは自分だけなんですね。アバウトでいいから、自分が好きな分野に近づき、身を置き、そこでの体験から次の答えを見つけていけばいい。私の場合は、裏方を選んで正解でした。(談)

まるやま・きょうこ ●通訳、翻訳家。東京都生まれ。幼少期をニューヨークで過ごす。青山学院大学卒業後、外資系企業に入社。1年目にラジオ局などが主催する英語DJコンテストで準優勝となり退職。ラジオのディスクジョッキーを経て現職。ローリング・ストーンズやマドンナなど多くの通訳を務める。訳書の新刊に『ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽』。邦楽アーティストの英語詞制作、海外向け訳詞も手掛ける。
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