仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「選んだ仕事に魂を込める」
吉田 克幸が語る仕事―1

就職活動

文化を浴びた遊学時代

学校の勉強が本当に嫌いだった

兄、姉がいる5人目、末っ子として東京の下町で生まれ育ちました。父の吉田吉蔵は12歳の時にカバン屋に勤め、2度の戦争や関東大震災などをくぐり抜けて29歳で独立、神田にカバンの製造所を設立しています。父が関東大震災に遭ったのは17歳の時だったそうです。その際にひもの両端に家財を結びつけ、それを肩から掛けることで多くの荷物を運び出せた経験から、「カバンとは第一に荷物を運ぶ道具でなければならない」という理念を基本にし続けていました。

カバン作りには実に厳しい姿勢で臨む父でした。自身も類いまれな職人でしたが、とにかく物を作る人を尊び、心から大切に遇していたと思います。かつてお中元の季節には米を、お歳暮の冬には炭をリヤカーに積んで、職人さんの家を一軒一軒訪れていたそうです。吉田の家には、そういう父の話が数多くあり、仕事に対する真摯(しんし)な姿勢は私も肌で感じていました。

一方、私は学校生活が苦痛でした。大学まで進みましたが途中でドロップアウト。東京の真ん中に住む戦後世代ですから、押し寄せてくるアメリカなどの新しいエンターテインメントや文化に夢中になりました。ジャズのライブを聴きに行きたくて、窓にはしごを掛け家を抜け出すなどは日常茶飯事。音楽、ファッション、食べ物や考え方まで海外から入ってくるカルチャーは刺激的で、別の人間になって生きているような高揚感でした。

実家の仕事は兄が誠実に受け継いでくれている。なら、技術もプランもない私はどうすればいいか。遊んでいるだけに見えても、自分の立ち位置が分からないのは不自由なものです。何をやったらいいか決められないという現代の若い人の焦燥感も理解できます。面白おかしく日々を遊んでいるように見えても、ここがゴールなわけはない。仕事を大切に生きる父親の後ろ姿を見ていますから、まだ何も始めていない自分にジレンマがありました。

そしてヨーロッパ、アメリカへ

兄、滋からドイツへ行ってみたらという思い掛けない提案があり、私は遊学の旅に出ることになりました。最初に行ったドイツでしばらく過ごし、その後ロンドンで暮らします。ここでロンドンポップ、文化革命を体験しました。映画、写真、文学、音楽、アートにおいて、古い価値観に従わずに新しいことを考えようとか、社会的な立場が弱くてもちゃんと意思は持とうとかという、新しいマインドが街中にあふれていましたね。

当時のロンドンやパリでは、後にファッションの世界で成功していくクリエーターやデザイナーが仲間でした。みんな貧乏なので古着を求めて蚤(のみ)の市に出掛け、それに手仕事を加えて何とも格好良くお直ししていくんです。それはもうマジックのようだった。ヨーロッパでは貧富の差もあり、社会的な階級の差もありましたが、それでも貧しい若者はそれなりに自分たちならではの格好良さを生み出していたんです。その後、長くいたニューヨークも私のクリエーションに強い影響を与えてくれました。

何年も遊学を許してくれた親には本当に感謝しています。そこには「世界の本物、いいものに触れよ」という哲学があったのだと思います。(談)

よしだ・かつゆき ●1947年東京都生まれ。(株)ポータークラシック代表。長年にわたって名品と呼ばれるカバンを世に送り出す。その影響はカバン業界にとどまらずアパレル業界をも常に牽引(けんいん)してきた。81年ニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーに日本人で初めて選出。2007年息子の吉田玲雄とポータークラシックを設立。“刺し子文化”を後世に残すことに尽力。一貫して“メイド・イン・ジャパン”を掲げる。
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