伊集院光さんが語る、新聞の魅力。
「“ついでの情報”がものすごく大事」

タレント、ラジオパーソナリティ/伊集院光さん

PROFILE

1967年、東京生まれ。1984年に三遊亭楽太郎(6代目三遊亭円楽)に弟子入りし、落語家・三遊亭楽大として活動。1987年ごろから伊集院光としてタレント活動をはじめ、ラジオを中心に人気に。現在、TBSラジオ「月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力」、ニッポン放送「伊集院光のタネ」「伊集院光のちょいタネ」、NHK-FM「伊集院光の百年ラヂオ」などラジオの冠番組をもつほか、NHKEテレ「100分de名著」、テレビ東京「伊集院光&佐久間宣行の勝手にテレ東批評」、フジテレビ「ぽかぽか」、テレビ朝日「Qさま!!」など、テレビ番組への出演も多数。著書に『のはなし』(宝島社)シリーズ、『伊集院光の今週末この映画を借りて観よう』Vol.1&Vol.2(宝島社)、『世間とズレちゃうのはしょうがない』(養老孟司氏との共著/PHP研究所)などがある。

10代で三遊亭楽太郎(6代目三遊亭円楽)に弟子入り、落語家として活動しながら、タレントとしてもじわじわと頭角をあらわし、今や稀代のラジオパーソナリティとしても確固たる地位を築いている伊集院光さん。

クイズ番組、バラエティー番組、情報番組など多方面でその博識ぶりを発揮し、活躍されています。こうした多忙な日々にあって、情報はどのように得ているのでしょうか? 子どもの頃から新聞が身近だったという伊集院さんに、新聞の面白さや役割などについて聞きました。

写真 伊集院光

新聞は、効率よく情報を得られる

新聞に関しては、僕は父から大いに影響を受けています。というのも、父は無類の新聞好きだったんですよ。母に「いい加減にして」って小言をいわれながら、多い時で4大紙からスポーツ紙まで、8紙くらいとっていたんじゃないかな。そんなに多くの新聞をとっていた父の言い分は、「いろんな意見を読まないとダメだ。本当のことが書かれていたとしても、その本当のことは、見る角度によって一つとは限らない」でした。

そんな家庭で育ったので、僕にも新聞を読む習慣が身につき、気づいたときには、一時期、僕も父と同じくらいたくさんの新聞をとるようになっていました(笑)。

新聞は、バラエティーに富んでいます。「この新聞にしかこの情報は載っていない」ことも多くあって、だから複数紙読むことが楽しいし、お勧めできますね。むしろ情報源を一つに絞ってしまうことに対して、僕は怖さを感じますので。

また、父親からは新聞の読み方も学びました。たとえば、朝忙しくて余裕のないときは、大見出しだけ読んで、その日のニュースをひと通り知る。見出しの大きさだけで、その事柄がどれくらい重要視されているのかもわかります。朝のラジオでパーソナリティをしていたときは、まず新聞を何紙もバーっと広げて丸をつけて、一通りのニュースを得ていました。同じことをしているラジオパーソナリティは多いんじゃないかな?

さらに余裕がある朝なら、リードまで読む。もっと読みたいと思ったら、本文をじっくり読みます。その日の忙しさや費やせる時間に応じて読み方を調節しつつ情報を摂取できるのは、新聞の強みであり便利なところですよね。

写真 伊集院光

予期しないところから入ってくる情報が好き

今、僕が情報を摂取しているメディアはいろいろですが、「ついでに情報が入ってくる」もしくは「自分が予期しないところから入ってくる」ことが好きなんです。新聞も雑誌も、漫画もそうだけど、お金を払ったものって、せっかくだから全部読もうって思いませんか?それで全ページに目を通していると、自分の興味外のことがニュースや話題として飛び込んできて、それが今の仕事にも役立っています。

今、生活に欠かせないインターネットなら、スマホですぐアクセスできるし、個人の興味次第で知りたいことをどこまでも深掘りできます。子どもの頃の僕がウルトラマンについて知りたいと思っても、その時放送されているウルトラマンのことしか知り得ませんでした。でも今は、全世代のウルトラマンを観て知ることができます。

すごくいい時代になったと思う一方で、予期しないところから入ってくる情報、ついでの情報がどんどん少なくなっていくことの怖さを、今、僕は割と真剣に考えています。

音楽だって、リアルタイムで朝のラジオ番組を聴いていれば、「なぜ今この曲?」とか「懐かしいな」とか思いながら、他薦の曲を不意に耳にするけれど、サブスクではなかなかそうはいきません。ネットニュースは閲覧履歴から自分の興味に沿ったテーマがカスタマイズされて出てくる時代になりました。この前、「隣国がミサイルを発射した可能性がある」という非常時に、僕がスマホで見ていたニュースサイトのトップに出てきたのは、あるプロ野球チームに入団した外国人選手の家庭の話題でした。僕の閲覧履歴から判断されたんでしょうね(笑)。

「今、僕のスマホに表示されるべきニュースはこれでいいのか?」と思いましたよ。利便性や効率は上がったかもしれないけど、それだけで本当に良いのか、と自問してしまいます。

写真 伊集院光

テレビが登場してもラジオはラジオとして残った。新聞も同じ

あるラジオ局の30周年特番を聴いたことがあるのですが、今から半世紀以上前に放送された番組の中で「未来のラジオはどうなると思うか」という街角インタビューに、多くの人が「絵が出るようになる」と答えていました。そして、実際にテレビが登場したときは「ラジオはなくなる」といわれました。でも今、ラジオはラジオとしてしっかり残っています。

だから僕は、新聞がネットニュースに取って代わられるかといったら、そうはならないし、そうならないでほしいと思います。とはいえ、何を残していくべきか、何が大事なのかということはちゃんと考えたほうがいいでしょう。

たとえば、新聞は、信頼性の確保のために節操が求められる反面、難しすぎる紙面は敬遠されてしまうかもしれず、どこでバランスをとるのか難しいところですよね。ですから、朝日新聞に「ドラえもん」が登場したのは画期的でした。
※朝日新聞には、「しつもん!ドラえもん」が毎朝、「もっと教えて!ドラえもん」が月1回、掲載されています。詳しくはこちら

紙面がやわらかい印象になるだけでなく、「ドラえもん」は、なるべく易しい言葉でちゃんとしたことを言ってくれます。それってとても正しい情報の届け方でしょ? 子どもにとっても、親が読んでいる新聞に「ドラえもん」がいることの意味は大きいですよね。

新聞が間違ったことを書くこともありますが、書きっぱなしではなく、きちんと訂正記事を出すことに信頼を持っています。間違いはなるべく少ない方が良いですが、真摯にエビデンスに向かい合い続ける姿勢が新聞にあってくれることで、SNSやネットニュースをはじめ、見方の違う意見にも耳を傾けることができると思うのです。新聞には、そんな大事な役割もあるはずです。僕はこれからも、朝日新聞に大いに期待しています。