仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「真っ当な目的のチームを作ろう」
西條 剛央が語る仕事―1

就職活動

僕がやる、と突き動かされた

大震災の現場で起きていた硬直

2011年3月11日の東日本大震災時、僕は東京に住んでいましたが、実家は仙台です。両親の無事は確認できたものの伯父は行方不明になり、後に遺体となって発見されました。当時、地震の直後からすぐに駆けつけたくても個人での被災地入りは難しく、ガソリンが回り始めた20日後の3月下旬に、バンの荷台に支援物資を詰め込んで約8時間かけて向かいました。

その時期のテレビなどでは、全国から送られた物資が現地で積まれている映像が流れ、支援が足りているような報道がなされていました。しかし、南北約400キロにわたる被災です。わずか20日後でそんなわけはない、物資が不足している場所は多くあるはずです。そこで、父の提案で目指したのは、津波被害を受けた南三陸町でした。

被害は想像を超えていたし、支援物資は小さな避難所や個人避難宅にはほとんど届いていなかった。全国の自治体や企業から送られてきた支援物資は、被害地の役所などの備蓄倉庫が満杯という理由で断られたりし、一カ所に山積みになっていたのです。

必要な物が被災者に届かない現状を目の当たりにし、やり場のない憤りが湧いてきて、「それなら全部自分がやってやる!」と心の底から思いました。支援やボランティアの経験もなく、一人の力は小さいけれど、それを集めれば大きな力になれるのでは、と考えたのです。

1台のPCとツイッターで始動

南三陸町から、同行した父や仲間と僕の実家に戻り、すぐにコタツの上にパソコンを置いて惨状をツイッターで発信し続けました。それがある程度まとまったところで、自分のブログに「絶望と希望のあいだ――南三陸町レポート」というタイトルで掲載。夜を徹して発信作業を続けたところ、翌朝の7時ごろからツイッターを読んでくれるフォロワーが1時間に千人単位で増えていきました。友人たちが拡散してくれたお陰です。

そしてその日の昼ごろ、同じパソコンを使って仲間の一人が「ふんばろう南三陸町」というサイトを立ち上げてくれ、これだけで新たな支援システムの準備は整いました。

「宅配便が稼働し始め、携帯電話が通じる状況下で、ホームページとツイッターという今使えるツールを組み合わせ、全国の個人の支援したいという気持ちを形にして、必要な人に必要な分だけ届くように」。僕たちが考えた仕組みはシンプルでした。

「ホームページに・被災地の人から聞いた必要な物資類と数を掲載し、ツイッターにリンクして拡散・支援者に指定の集荷所に直送してもらい、何をどのぐらい送ったかだけ報告を受け、必要数に達したらその物資に線を引いて消していく」。驚いたことにそれから24時間以内に、ホームページに掲載した物資は全て指定した場所に送られていたのです。その後支援先は瞬く間に増えていき、夏に千カ所、最終的には3千カ所を超える避難所を継続的にサポートすることになりました。

未曽有の災害時に、既存のシステムが機能しないなら、その時の「状況」と「目的」に応じて方法を考える。支援のスピードを求められる悲惨な現場で、僕の行動のリミッターがカチッと外れ突っ走り出した日でした。(談)

さいじょう・たけお ●早稲田大学大学院客員准教授。1974年宮城県生まれ。早稲田大学大学院で博士号取得、MBA専任講師などを経て現職。独自のメタ理論「構造構成主義」を創唱。それを用いて東日本大震災直後の2011年4月に「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、ボランティア未経験ながら日本最大級の支援プロジェクトに成長させ、14年に世界的な賞アルスエレクトロニカ(デジタルコミュニティー部門)で国内では初となる最優秀賞を受賞。著書『人を助けるすんごい仕組み』『チームの力』ほか。
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