仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「文化の力を炸裂(さくれつ)させよう」
大里 洋吉が語る仕事―1

就職活動

映画と音楽漬けの恩恵

注意されても映画館に通った

青森市街の真ん中に僕の家があり、周りにはヨーロッパ映画ばかり上映する洋画館や、東映、東宝、松竹などの映画館が歩いて5分圏内にあるという環境でした。小学校の時から映画ばっかり見ていましたね。「行ってきます」と家を出て、学校には頭が痛いから病欠にさせて欲しいと言い、20円か30円を払って映画館で3本立てを見る。子どもながらに3回は注意を受けた記憶がありますね(笑)。

中学はもちろん高校時代も映画漬け。映画音楽も素晴らしい時代だったし、僕は生まれてから18歳まで、故郷青森で映画と音楽の英才教育にどっぷりと首までつかって大きくなったようなものです。もうそりゃあ染み込みますよ。今、仕事としている芝居、音楽、舞台、その全ての仕事は幼児体験の延長ですね。東京での大学生時代も、やっぱり休講時には映画館にいたなあ。

就職先は映画業界と思っていました。映画俳優か、映画監督か、あるいは映画のプロデューサー。でも映画業界は既に新卒を採り過ぎていて採用試験がなく、大手プロダクションである渡辺プロダクションに入れてもらいました。とにかくエンターテインメントの世界以外は気持ちが動きませんでしたね。

22歳で入社していきなり、当時はまだ珍しかった16ミリフィルムで20分ほどの音楽もののプロモーション映像を作りました。アーティストと自分たちで衣装も制作したり、ビートルズの曲も使ったり(笑)。何をしてもいいという自由な社風で、2、3カ月会社に行かなくても怒られない。その映像を引っ提げて日本全国三十数カ所、上映とコンサートつきで巡りました。

その後、タレントたちのマネジャーの仕事に移っても、照明、音響、映像、選曲など全てやらせてくれる。僕は、若いうちに基礎を学ぶとかと言うより、できることを存分に試してみる方がいいぞと感じましたね。

やっぱり米国で、の挫折

会社でかなり好き放題に仕事をさせてもらいながらも、僕にはブロードウェーに行ってミュージカルをやりたいという思いがずっと強くあり、入社から9年1カ月勤め、妻も子どももある身で退職しました。僕のミュージカル狂いを女房は一番よく知っていたし、子どもが保育園に行ける年になったから、いよいよニューヨークだと。

ところが、ニューヨークへ下見に出かける予定の時期に、幾つかの事件が起きた。3人組女性グループのキャンディーズ解散公演や、18歳のシンガー・ソングライター原田真二君のデビューのための米国への旅など、退職した僕に思いがけない仕事が舞い込んできたのです。それらをやり遂げるには会社を作らなくてはならない状況でした。滞在していたニューヨークで、見上げた自由の女神からとりあえず「Amuse(アミューズ)」と名づけ、そんなつもりはなかったのに米国でのミュージカルをお預けにして、日本での仕事が始まってしまいました。

それでも前のめりになれたのは、何の迷いもなくエンタメの世界こそ自分がいたい場所だと思えたからです。周囲がどう言おうと、業界として未熟だろうと関係なかった。きっと誰にでもそういう直感はあるでしょう。頭で人生を組み立てるより、自分を動かしているものを見て欲しいよね。(談)

おおさと・ようきち ●(株)アミューズ代表取締役会長。1946年青森県生まれ。立教大学文学部卒業。69年に大手プロダクションの(株)渡辺プロダクションへ入社し、マネジャー、プロデューサーなどを経て78年にアミューズを設立、代表取締役社長に就任。サザンオールスターズや福山雅治を始め多くのアーティスト、タレントを育てる。同社は2006年に東証1部上場。米国、シンガポール、韓国などの海外も含め国内外でグループ会社も運営する。
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