「自分の価値を追っているか」
中須賀 真一が語る仕事--2
コーラの缶で衛星を?
フラストレーションを退治したい
大学の航空学科を卒業し、大学院で博士課程を修了したら母校に残って研究にいそしむ。それが通例であっても、僕は民間企業に就職しました。人工知能(AI)に大きな可能性を感じていたのですが、宇宙分野で活(い)かすには何年先になるか分からず、フラストレーションがたまっていたのでとにかく実践したいとウズウズしていたのです。
AIを活用しようと入社した日本IBMでは、最初に工場での制御に取り組みました。ハードディスクの製造工程で多種類のパーツを流れ作業で組み立てていく際、それをどう振り分けたり入れ替えたりすれば1日の生産量を増やせるか。これはなかなか複雑で、人間が考えてプログラムを書いたりルールを作ったりしてもうまくいかない。それを解決するためにAIを運用しようと僕は試行錯誤しました。
そして、製造後のハードディスクをチェックするプロセスにAIを導入したツールも会社に残せた。でも間もなく僕は、大学の自分のボスに連れ戻されてしまいました(笑)。2年間のIBM勤務でしたが、AIは社会に役立つという手応えを確かに感じました。
大学に戻り、AIと宇宙の合体を研究しましたが、実用に至らないのは同じ。そんな1993年に、僕は何名かと衛星設計コンテストを立ち上げました。衛星は打ち上げられないけれど設計で競い合おうじゃないか、と。いい成果は出ますが、でも紙の上だけ。実際に飛ばせないので、ここでも皆フラストレーションが募るばかりでした。
ところが98年に、宇宙工学を研究する日本と米国の大学が集まって、互いの得意技を組み合わせて実プロジェクトを立ち上げようというシンポジウムが実現したんです。地理的に真ん中辺りにあるハワイで、という楽しい設定で4日間。ここで計画を作って1年後には結果を出しましょうという縛りの中で、提案者の高名な米国の教授が驚くような課題を出しました。
テーブルにコーラ缶が載った
米スタンフォード大のその教授は、会議に行き詰まっていた僕たちを前に、ポンとコーラの缶を置いて「これで衛星を作るぞ」と言ったんです。この話が出た時は「そんなことあり得ない。でも、この有名な教授が言ったんだからできるかも知れない」というのが僕らの正直な気持ちでした。
日本では小型衛星と言えば500キロぐらいのものを考えます。コーラ缶で衛星ならせいぜい500グラムほど。でも参加していた東大、東工大の学生が目を輝かせてこの提案に乗ったんです。紙の上の設計だけだった日々から、缶が飛び立つ実験ができるような段階になるなんて夢のようだ、と。
僕も、このプロジェクトの面白さにはワクワクしました。それは、日本の常識で固まっていた頭を揺さぶり、解き放ってくれたからです。大きな設備も、多額の援助も、ホコリ一つない環境もありがたいけれど、衛星を打ち上げるための土台は宇宙工学なんです。ちゃんと計算してやるべきことをやれば、コーラの缶だって空に向かって飛んでいくんだってね。
そして缶サイズのような小さな衛星を作る技は、日本人の方が優れているはずだという自負がありました。今後、超小型衛星は日本が引っ張っていけると実感したのです。(談)