「「生涯のテーマは揺らぎなく」」
戸倉 蓉子が語る仕事--1
ナイチンゲールの贈り物
人生に挑む力をもらう
小学校の卒業文集に「将来の夢は看護師さん」と書きました。毎日熱心に包帯を巻く練習もしました。夢をかなえ資格を取り、大学病院の小児科に配属された新人の頃のことです。白とグレーの天井や床、壁に囲まれた病棟は、大人の私でも心がなえるものでした。私は病気の子どもたちの心が元気になるよう、廊下の壁を落書きできるようにと師長に提案しました。しかし返って来た言葉は「病院はテーマパークじゃありません」。
新人のナースの意見など通るはずがありませんでした。「ならば自分にできることをしよう」。ある日、担当していた白血病の少女のベッド脇に一輪の花を飾りました。そうすると、いつも沈んでいた少女が心からうれしそうな笑顔を見せてくれたのです。そして驚くことに検査データも良くなりました。その時私は気づきました。薬や化学療法にもできないことがある。それは患者さんの心に希望を与えること。一輪の花が教えてくれたように、病院をもっと元気の出る環境にしよう。私は、理想の病院を造るために建築家になろうと決心しました。勤務してまだ2年半、20代前半のことでした。
無謀と言われても、私は自分の目指す未来がはっきりと見えたら、それに挑まないと後悔すると思いました。行動する勇気をくれたのは、あのナイチンゲールです。1850年代、クリミア戦争下での献身的な看護によって名高い彼女は、また闘志あふれる変革者でもありました。裕福な家庭の女性が働くなどほぼなかった時代に、負傷兵であふれかえる兵舎病院へシスターらを率いて出向いて行ったのです。
当時の病院は不潔で、兵士たちの多くは受けた傷だけでなく細菌感染が原因で命を失っていく。ナイチンゲールはここで、環境改善を実行し、死者を激減させました。優れた統計学者であり、看護教育学者であり、そして何と病院建築の才能まであったという。思い込みの強い私は、「やるべきことがあるなら、始めなさい」という彼女の応援を感じ、病院を飛び立ちました。
幸せを作る看護、五つの要素
もう160年近く前にナイチンゲールが確立した「看護覚え書」は、今もナースのバイブルです。そして、私の人生を変えた教えもここにあります。「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に与えることである」と。これはまさに良い住環境を作る秘訣(ひけつ)ではないか。薬やケアについてよりも、良い環境を与えることだと冒頭にあったことが、建築家を目指す心の支えとなりました。実際にナイチンゲールも、この本質に基づいて病院の設計、建築をしてきたのです。
私がナース時代に感じた無力感は、現代になっても病院は良い住環境になっていないという救われない思いでした。薄いカーテンにパイプベッド、白い壁と天井、消毒薬のにおいなど、入院病棟に漂う特有の空気感。それはお見舞いに訪れた家族にも伝染するほど、日常から隔離された殺伐とした環境です。私は「これを変えたい。やらなきゃ」と強く思いました。
仕事をする素晴らしさは、思い描いた理想を社会の中で実現できること。そのために必要なら、学び、資格も取り、資金の調達も営業もやる。こうして私は長い道を走り始めました。(談)