仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「「デザインは『未来』を探る力」 」
早川 克美が語る仕事----1

就職活動

毎日「クビだ」と叱られて

就職でデザインの奥深さを学ぶ

好奇心旺盛な子どもでした。小学校や中学高校で図工や美術の時間に、作品を「面白い」と伸ばしてくださる先生に出会えたことは幸運なことでした。高校時代に美術大学を目指してはと先生から勧められ、親に話すと猛反対でしたが、1カ月間諦めずに正座で三つ指をつき「お願いします」と頼み続けると、何をやっても長続きしないこの子がそこまでするなら本気だろうと許しをもらえました。
 美大では、デザイン論や芸術論のような難しい議論をする人たちが多く、議論に参加することができなくてなかなかなじめない学生でした。造形の基本などを学びつつも、むしろ一般教養の法学や心理学などが面白くて専門書を読んだりしていました。何より街に出てよく遊びました。
 就職は、日本で初めて工業デザインを手掛けたGKインダストリアルデザイン研究所を志望し、環境設計部に配属されました。大変厳しい事務所で、描く1本の線に対して「その線に社会的意義はあるのか?」と上司から問われるのです。何となく引いた曲線は注意を受ける。機能と美しさの融合したものを作りなさいと常に言われていました。当初は全くできず「これじゃクビだ」と毎日発破を掛けられていたものです。
 それでも毎日の学びとデザインが面白く、休日でも会社に行きたくて仕方がなくなるほどにのめり込んでいきました。やがて線の大切さが分かり始めると、1年目の後半には、劣等生だった私のアイデアスケッチが「これ面白いね」と採用されるようになり、プレゼンテーションもやらせてもらえるなど成長を実感することが増えていったのです。直属の上司が、私の持ち味を見いだし伸ばしてくれたのだと感謝しています。
 ここでの約11年間に、全国の自治体の公共プロダクト、ビルのファサードデザイン、道路の舗装パターンやサインデザインなどに携わり、社会的な意義を仕事の根本に持つことを学びました。それは今も変わらず、私の核となる「デザイン哲学」として生きています。

自分は何の専門家なのか

多くの挑戦を与え私を育ててくれたGKを経て、商業施設や公共施設のサインを中心に手掛けるデザイン会社に転職、34歳でした。勤務して数年後、2003年に開催された「世界グラフィックデザイン会議・名古屋」のプレイベントを見に行った際、会場のデザインの仕掛けの素晴らしさに感激したんです。私はその思いを担当でいらしたデザイナー・原研哉さんへ直接伝えに行きました、面識もないのに。
 原さんは、後日ポートフォリオ(作品集)を見てくださり、何とそのイベント本番のサインデザインの担当に抜擢(ばってき)してくださいました。約1年間、素晴らしいクリエーターたちに混じり、夢中で仕事を成し遂げると、「もうピンで勝負したら?」と背中を押してくださる方がいらして、考えたこともなかった独立ですが、やってみようと決意し39歳で起業しました。
 私の職業は「環境デザイナー」ですが、扱う範囲が広いため何の専門家なのか分かりにくいと感じていました。そこであえて一度「サインの専門家」と領域を絞って活動し、専門性を深めたのです。すると、サインの視点から広告や会場構成をと依頼が順調に拡大していきました。(談)

はやかわ・かつみ/京都芸術大学通信教育部芸術学部芸術教養学科長、同大大学院芸術研究科(通信教育)学際デザイン研究領域長。環境デザイナー。1964年東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業。GKインダストリアルデザイン研究所などを経てF.PLUSを起業後、東京大学大学院学際情報学府修了。デザイン賞受賞歴多数。
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