「なぜこれを選ぶか深く問おう」
坂上 陽三が語る仕事--2
面白いを支える緻密さを
ぶつかった、プログラミングの壁
漫画を描くことや映画を見ることが大好きでした。その延長で映画監督を目指し、大学は映像学科、就職は映像プロダクションを選びました。仕事では映画、CM、バラエティー番組など様々な仕事に携わったのですが、なぜか満たされず退職。自分は何をやりたいのか分からなくなっていた時期に、ゲームも映像エンターテインメントの一分野だと考えて当時のナムコに応募し、運良く開発部門にデザイナーとして入れたのです。1991年でした。
当時はゲーム業界が伸び始めの頃で、プロジェクトは小さく、6人ぐらいでゲーム開発をしていました。企画担当やプログラマーと僕も含めたフラットなメンバーで、「こんなのを作ろうか」と相談しながら進んでいく。どう面白くしていくか、どうお客さまが手触りよく遊べるか、ひたすら一緒に考え作る毎日です。一つひとつのパーツを担当するのではなく、自分たちの全力をもってゲームを作っていく仕事の充実感は大きなものでした。
ところが、さらに達成感を味わう体験が待っていました。制作したアミューズメント施設用アーケードゲームのロケーションテストを見に行った時、お客さまが熱狂して楽しそうに遊んでいる姿を目の当たりにしたのです。それまでのゲーム作りでは自分が満足するかどうかがやりがいだったのに、お客さまが喜んでくれるとこれほどうれしいんだという気持ちが初めて生まれました。漫画や映画の世界とはまた違う、ゲームを挟んでお客さまと双方向のやり取りができる手応えを僕は求めていたようです。
そんな面白いゲームはどうやったら作れるのか。色々なアイデアを考えては「こういう迫力のある感じにしたい」など、絵コンテを描いてはイメージをプログラマーに提案していました。ただ、自分では面白いぞと思っていても、その当時のプログラムリーダーからは、将棋の2、3手先の行き詰まりを見通したように「詰んだな」と突き放されます。「プログラムのことも分からずにゲームを作っているのか」と言われる理由もよく分かりませんでした。
自分の考えは、まだ伸びる
僕はもちろん、ゲームは全てを0と1の数字で動かすということは理解していました。でも、プログラムはロジックを組み上げて作るものだということを分かっていなかった。感覚的で誇張された表現や動作であっても、現実的なロジックがイメージできなければ組めないことを教わりました。
自分は感情だけで突っ走る傾向が強かったようです。納得はできました。けれど、それを仕事に落とし込めるようになるまでには時間がかかり、そうとう揉まれましたね。デザイナーは右脳派、プログラマーは左脳派と、それぞれ別の思考ルートを持つとよく言われます。確かに、面白さを作り上げるには緻密(ちみつ)さの底支えが必要なのです。プロデューサーとして100人以上のプロジェクトを率い、それぞれの主張を聞く立場になってそれを痛感しました。
誰でも自分は正しいと思う。ただ、その自らのこだわりに「待てよ」と気づいた時から、仕事の視界はかなり広がっていくものです。(談)