「伸びしろを探し続けよう」
為末 大が語る仕事--3
誰でも自分の価値に迷う
セカンドキャリアを意識しよう
23歳の時、世界大会の陸上スプリント種目で日本人初の銅メダルを手にしましたが、すぐに取材などで「次は何を目指すのですか?」と聞かれるようになりました。良い結果を出せば期待され、いつも次の頂を目指さなければならないのがアスリートです。そして他の誰かがいい結果を出せば、注目はそちらへ集まっていく。アスリートとしての活躍は、そんな周囲の反応に一喜一憂する自分を知る機会でもありました。
大学卒業後は大阪ガス(株)に入社。現役アスリートの生活と両立させながら、初めてスポーツ以外の社会に足を踏み入れました。ここで社会人研修を受けた同期メンバーたちが、「ボルネオ島にあるブルネイから、日本にガスを買いつける商社をやりたい」などと仕事への思いを語るんです。メダルを追う陸上の外にも夢があるんだと、世間知らずだった僕は目を開かされる思いでした。在職は1年半ほどでしたが、一人ひとりが何かを目指して目の前の仕事に取り組んでいる。僕は将来をどうするか。そんな意識を持ち始めていました。
当時はまだ陸上界でプロになった選手はほとんどいませんでしたが、僕は個人で独立したかった。マネジメント会社と契約しても、知名度が群を抜いていたわけではなかったのでスポンサー探しは難航しました。痛感したのは、銅メダルを取ったアスリートでも少し間が空けばバリューが下がるという現実です。思い描いていた自分の価値と市場の評価には、がっかりするほどの差がありました。アスリートはタレントさんと同じで、旬を問われるものだと気づかされました。
幸運なことに、僕はその後も再び世界陸上で銅メダルを勝ち取り、またオリンピックの連続出場も果たして、現役引退は2012年、34歳でした。その間、アスリートとして自分を追い込み続けながら、これからの自分にできる仕事は何か、社会的に自分の価値は認めてもらえるのかと模索し続けてきました。それは、現在の30代、40代の人にとっても同じ迷いなのではないでしょうか。
やめるのは怖い、ではどうする?
年齢によって成績が落ちた結果でやめ時を知るアスリートとは違って、企業で今働き盛りならこのまま定年までと考えるのは当然かも知れません。でも、日本人の平均寿命から逆算して命尽きる十数年ぐらい前までは仕事をしたいとするなら、およそ70歳以上です。それならばもうワンステップ、次のキャリアを意識してはどうでしょうか。
僕がやってきたのは、海外での賞金レースに個人で参加したように、外の世界を体験しに行ってみることでした。例えば、会社は辞めないけれど興味がある所には顔を出してみる。バスケットボールの技の一つピボットのように、軸足は動かさず、もう一方の足は自在に向きを変えて進む先を探るというイメージですね。
僕は、会社に忠誠を尽くすことも大切だと思っています。その一方で、個人が自分の仕事を自分軸で選ぶことも重要な時代になったと感じています。他の方よりもかなり早く、僕のように一つ目のキャリアの限界がくるアスリートの対処法は、まず動くことなのです。(談)