情熱をかけてとりくんできたことを
どれくらい自分の言葉で伝えられるか
選手としての限界を知り、マネジメントに着目
大学時代は、早稲田大学スポーツ科学部に在籍し、体育会サッカー部の主務というマネジメントのリーダーをしていました。高校までは選手としてプレーしていましたが、東京都の決勝戦で対戦し、大きな力の差を感じた相手でさえも、全国大会の一回戦であっけなく敗れるのを見て、上には上がいると選手としての限界を痛感しました。大学に入るにあたり、マネジメントという領域であれば組織のリーダーになる道はあるかもしれないと思い、サッカー部への入部を決意しました。もともと目立ちたがり屋で前に出て行くタイプ。小学校時代からリーダーとしての役割を常に意識していたんです。
実際に入ってみると、早稲田大学サッカー部は100年近い歴史があり、部員は100人、OBも1,000人近くという大組織。営業、経理、広報、総務、早慶戦のマネジメントなどの仕事のほか、プロ契約のコーチングスタッフと選手との間に入って課題を解決しました。また、川淵三郎日本サッカー協会最高顧問や岡田武史元日本代表監督なども所属するOB会の活動を運営したり、支援してくれる大学側とやりとりをしたりと、サッカー部と関係するすべてのステークホルダーを相手に、お互いのメリットが出るよう、数多くのことを調整していました。最初は選手だった自分とのギャップを感じることもありましたが、「選手にはサッカーに集中してもらいたい」という思いと、「歴史あるクラブの繁栄に寄与したい」という思いでやりきることができました。
学業面では、スポーツビジネスを学ぶゼミに入り、授業でもJリーグやプロ野球、世界中のプロスポーツの事例について勉強しました。そこで印象的だったのは、アメリカの「ボールパーク思想」という考え方です。アメリカの野球場では試合だけでなく、食事やイベントを含めて一日中楽しめる。負けたチームのファンにも楽しんで帰ってもらいたいという考えが根底にあり、ビジネスが成り立っている。こうしたスポーツ先進国の考え方を知ったことがきっかけとなり、サッカーの早慶戦のマネジメントでも実践してみようと行動できたことが自分の中での大きな経験になりました。
早慶戦を成功させた経験が卒業後の進路につながった
言うまでもなく、野球の早慶戦は一大イベントです。僕は斎藤佑樹世代でしたので、神宮球場は満員。一方、サッカーの早慶戦が行われる国立競技場には、僕が3年生になるまでずっと8~9千人程度しか入らず、それがとても悔しかった。歴史も同じくらいあるし、野球とサッカーの人気も大差ないのに、どうしてこうも違うのかと。そこで、学生の反応をSNSの発言やアンケートを通じて調べてみたら、見えてきたことがあったんです。「チケットを買うためにみんなで徹夜して並んだ」「おそろいのTシャツを着てビールを飲んだ」「試合終了後に新宿で盛り上がった」「サークルのみんなで応援歌を肩組んで歌った」というように、野球をきっかけに別の楽しみが広がっていることに気づきました。
早速、サッカー早慶戦にしかできないプロモーションを展開することを決意。例えば、大学生協の店員に一定期間ユニフォームを着てもらうことでPRに協力してもらったり、ポスターやパンフレットにイケメン選手の情報を大きく入れて女子大生に響く企画にしてみたり、Jリーグクラブを通じて良質な業者を紹介してもらい、Tシャツや応援マフラーなど新しいグッズのプロデュースに力を入れたり。また、試合当日もハーフタイムに早稲田出身のサッカーファンである「サンプラザ中野くん」さんに来ていただいて史上初のライブを実施したりと、様々な改革を進めました。その努力の結果、4年生の年に来場者数が1万2500人とドンと伸びたんです。競技場内を見てみると、イケメン特集を女性たちが見ていたり、団体でTシャツを着ていたり、ハーフタイムで盛り上がっていたり、自分が仕掛けたコンテンツを楽しんでくれている。そして何より自分が日々サポートしている選手たちの試合を見て盛り上がってくれている。その瞬間、つま先からつむじまで鳥肌が立つような感覚になりました。自分はこういう仕事がしたいんだと、その時に改めて思い、この時の経験が卒業後の進路として広告会社を選ぶことにつながりました。
情熱をかけて取り組んできたことをどれくらい言葉にできるか
具体的な就職活動としては、主務という立場上、いろいろな方とやりとりする機会が多く、OB訪問もかなりできる恵まれた環境だったので、広告会社を中心にいろいろなお話を伺いました。業種としては、メーカーなども幅広く研究しました。というのは、4年間サッカー部の主務を務めた後、大学のプログラムでアメリカ・オレゴン州のポートランド州立大学に1年間留学したのですが、その際に現地で日本の商品、製品を目にすることが多く、すごく誇りに思えたからです。
新聞は、関心のあるスポーツ面は昔からよくチェックしていました。ネットの情報に比べ、新聞は一つのニュースをより深く伝える媒体だと感じています。
現在は、博報堂DYメディアパートナーズで、朝日新聞に掲載する広告の仕事を担当して3年目になります。日付や掲載面など、クライアントごとの細かいニーズに応えていく仕事ですが、大学4年間でやってきた、様々なステークホルダーの意向に向き合う主務の仕事と重なる部分も大きく、やりがいを感じています。将来的には、いつかスポーツビジネス、特にサッカーに関わる仕事ができればと思い、日々学んでいるところです。
これから就活をされる方に伝えたいことは、「情熱をかけて取り組んできたことをどれくらい自分の言葉で伝えられるか」が一番大事だということです。やってきたことの大小は関係ない。自分がやってきたことを丁寧に振り返って掘り下げてから、面接官にぶつけてほしいですね。似たような型にはめて正解を出そうとするのではなく、自分らしさを最大限に出した時に本当に自分に合った会社と出会うことができると思います。