埼玉県出身。武蔵大学卒。
塾講師のアルバイトをしながら、大学では陸上部長距離に所属。モットーは『親切・丁寧』 周囲からのあだ名は『終身名誉幹事長!』
第3章 逆転ホームラン(下)
「スロースターター」
高校時代は、学校の先生になるつもりだった。
陸上競技部で長距離に励みながら、寺を巡って仏像を見たり、境内の紅葉に心いやされたりする「歴男」の一面も持っている。大学では、文学部で日本史を勉強して教員になれればと、ぼんやりと考えていた。だが、進学先を巡って、父親と口論になった。
父はパティシエだ。ケーキメーカーの工場で技術指導をしている。味や形など職人としての美意識、探求心のDNAが、一人息子を歴史好きにしたのかもしれない。でも、「大学は経済か法学へ行け」と、強い口調で言った。
「どうして大学で好きな勉強をしてはいけないの? 教師にもなれるし」。食い下がったあげく、父から「じゃあ、好きにしろ」という言質を取り付けた。すると、今度は強気だった自分の心に変化が起きた。「お金を出してもらうのに、ワガママを通していいのか」。父だって自分の将来を案じて、就職の道が比較的開けている学部をすすめてくれたんだ。その親心に、心優しい青年は逆らえなかった。
一浪を経て、希望通りの経済学部に入ったが、就活は決して順調とは言えなかった。現実に直面して初めて、その壁に気づくことも多かった。その一つが「学歴フィルター」である。ある大手銀行の説明会に、明治大、東京理科大、上智大の知り合い3人とともに一斉にスマホで予約しようとしたら、自分だけが「満席」としか出ない。都市伝説だと思っていた「フィルター」は本当だったと知り、ショックだった。
しかし、そんなことではへこたれない。説明会でキャンセルが出た場合、空席表示が出ると聞いたので、毎日粘って朝や深夜にパソコンをのぞいていたら、説明会の当日の朝5時に、本当に空席があったので、説明会に滑り込んだこともあった。もちろん、だからと言って、内定が取れるとは思うほど、あまちゃんではない。入っても生き残れないだろうと想像もできた。就活が終わったあとに始まったTBSの人気ドラマ「半澤直樹」の放映中、自宅の向かいに住んでいる年配の銀行マンに「昔はああだよ、山口くん」と、銀行業界の内情を冗談めかして言われ、ああ、やっぱり自分にはあまり向いていなかったんだろうなと思った。
マイナス評価をバネに
のんびり構えていて、まずいと気づいたらとことんやる性分は、就活前からのものだ。高校3年で受けた大学センター入試では、英語や日本史が満点の半分程度というさんざんな成績だった。そのリベンジをと猛勉強した結果、1年後には英語は8割近く、日本史は9割以上解くことができた。
大学の単位を落としたことがあった。「D」という成績表の文字に目を疑い、教授にもメールで問い合わせたところ、届いたのは「(甘い評価は)今後の君のためにならない」という愛のムチ。当初はふてくされていたが、もう一度同じ授業を取ることにした。何時間も予習に時間をかけ、復習も重ねた結果、今度は最高評価の「S」をもらえた。「いい加減な態度ではダメ。真面目に取り組めば、結果はついてくる」という教訓につながったこの教授とはその後、一緒に居酒屋に出かけるほどの間柄となった。
社会人になっても、最初は評価が低くてもきちんと受け止め、それをバネにがんばれる自信はある。だから、面接では、そんなスロースターターもアピールした。入社時は落ちこぼれかもしれないけれど、5年目には人並みになり、10年目に支店でトップセールス、後輩からも頼られる存在に……。
落ちた会社に同期が内定
就活を振り返ると、連戦連敗で30敗以上を記録した。結果自体は自慢にはならない。でも、この春に入社する大手証券会社以外に、内定をもらう寸前までいった名のある金融機関もあった。最後は日程の折り合いがつかず、辞退したが、人事担当者の中には、ちゃんと自分の本質を見てくれる人はいることは励みになっている。
もう一つうれしかったのは、「(うちの会社に)向いてないねえ」と、自分をそでにした証券会社に、大学の親しい同期が内定したこと。県東部に所属し、見るからにバリバリの体育会系というその友人とは、二人三脚で「お互いに証券会社に入ろうな」と就活タッグを組んだ仲だ。自分の内定先である大手証券会社に落ちた彼が「オレ、どうしたらいい?」と相談を持ちかけてきた時、「(ひ弱そうに見えた)自分を落としたあの証券会社なら、彼を取ってくれるかも」とすすめたのがきっかけ。自分の面接での経験談やエントリーシートの中身などの助言もした結果、二人して夢がかなうこととなった。
「やっぱり、あの証券会社は彼のようなタイプが欲しかったんだな」と今では思う。自分は自分だ。歴史好き、寺巡り好きな証券マンで独自の道を切り開いていこう。
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