北海道出身。高校卒業と父親の転勤を機に上京。大学では英文学を専攻し、シェークスピアのオセロを卒論のテーマに。趣味はピアノのほか、高校まではバレエに励んだほか、茶道部にも所属。インドア派と思いきや、実はアクティブという。
第5章 地上に降りた天使(上)
「滑り込みセーフ」
授業のあと控え室に戻ってきて、ひと息つきながらカバンの中をのぞき込むと、マナーモードにした携帯がピカピカと点滅していた。着信があったらしい。
昨年6月の終わり、東京都江東区の中学校で英語の教育実習をしていた時のことだ。電話がかかってきたのは午後1時ごろ。それから2時間がたっていた。着信履歴の番号に見覚えはない。「ゼロ、ヨン、ナナ、ロク」。市外局番を調べると、千葉県成田市からの発信だった。「もしかして……」。
もう1人の実習生を避けるように廊下に出た。かけ直すと案の定、受験していた大手航空関連会社の人事につながった。「私たちと一緒に働いていただけますか?」。思わず涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。これで苦しかった就活ともおさらば出来る。涙をふくと、控え室ですぐに実習生仲間にも報告した。大学院に進むという彼女も喜んでくれた。
「電話できなかったら……」
教員免許は将来の備えで、新卒で学校の先生になるつもりはなかった。一方で、最後の砦となった会社の最終面接は教育実習に入る前々日。実習の当日までに連絡が来なかったら、夏以降の就活も覚悟していた。
というのは、教育実習期間中に会社側が自分を採用すると決めても、内々定通知の電話を取れないと思っていたから。中学生の前で携帯電話は見せてはいけないし、朝登校してから夕方下校するまで先生がボランティアで付きっきりのお世話をしてくれるのに、学校と無関係の電話に出るのも気が引ける。かと言って、志望先の人事からかかってくる電話は番号非通知が多かったので、取りそびれたら掛け直せないと思い込んでいた。
それより何より、就活をしていることを学校側に伝えていなかった。数年前まで英語の教師をしていた母から、実習生が教師志望でないことが分かると先生たちの態度も一変すると聞いていた。決して不真面目な態度で実習を受けようとは思っていなかったので、学校からいい加減に扱われるのはイヤだった。そうやって電話が取れないまま、会社からは内々定辞退という風に誤解されて、それっきり縁が切れるのでは……。
今、振り返ってみれば、気の回し過ぎだったのかもしれない。でも、心配性の自分としては当時は本気で悩み、暗い気分になっていた。だから、実習5日目のあの日は奇跡が起きたとしか思えなかった。第一にその日に限って先生たちに保護者との懇談会などがあって、午後3時という早い時間に解放してもらえたこと。さらに、大手航空関連会社からの電話が非通知でなかったこと。大勢の同僚とともに4月1日の入社式に臨むことが出来たこの会社の仕事が、天職のように思えるのだ。
緊張しても笑顔絶やさず
北海道室蘭市の出身。子どものころ、家族でどこかへ遠出する場合も飛行機の利用も多かったことから、自然と飛行機が好きになった。そして、大学3年のときの授業の一環として「介護の実習」をやった際、おじいちゃんやおばあちゃんの面倒をみるなど、話をしながら人をサポートすることに喜びを感じた。さらに、大学で勉強した英語も活かせる仕事と考えていくと、航空業界が自然と視野に入ってきた。
就活のスタート時には、客室乗務員へのあこがれの方が強かった。しかし、グランドスタッフを募集する会社の2次面接を待つ間、会社側のはからいで現役の社員と話す機会があったことが、地上での仕事にやりがいを見いだすきっかけになった。チケットの発券業務や搭乗案内、さらには荷物の重さなどを計算しながら機体のバランスを調整するなどの業務内容について、「グランドスタッフはお客様だけでなく、機長や客室乗務員、整備士など飛行機の運航にかかわるいろんな人とつながっている仕事。だから、フライトの成功にとてもうれしさを感じられる」と言う彼女の言葉に、強くひかれた。
ただ、ふだん人と話すのは慣れっこなのに、かしこまった面接はカチコチになってしまう。実は飛行機とは無関係の業界も含め10数社を受けたが、緊張で大きい声が出なくなったり、「石川さんの腹黒いところって何だろう」などの意表をつく質問に対して、頭が真っ白になって答えに詰まったりした。「本当はそうじゃないかもしれないのに、圧迫面接のように思えて……」。
でも、多くの会社がほめてくれたのが、笑顔だった。内定をいただいた会社の最終面接でも、バイトやサークル活動の話を聞かれたが、何を話したか覚えていないのに、笑顔だけは絶やさなかった。意識していたことだが、それが作り笑顔でなく、自然とできたことが就活を最後に成功させられた一番の武器だったかもしれない。
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