「それ、自分を活(い)かす選択ですか」
古市 憲寿が語る仕事―3
苦痛と思わないことは何か
再挑戦が難しい社会で
日本はやり直しが利きにくい社会ですよね。例えば大企業の正社員になる場合、高校を中退した人にその門戸はほとんど開かれていません。しかも、一定の年齢を超えた人が大学に行き直すのは難しい。ヨーロッパでは、20代の間は大学などの教育機関と労働市場を行ったり来たりすることが珍しくない国もあります。しかし日本の場合は、大学や専門学校の学費が高いこともあり、一度「大学へ行かない」という選択をした人間にとって厳しい社会だと思います。言い換えれば、自分の適性は学校ではなく仕事の中で見つけるしかないということでもあります。
よく「好きなこと」を仕事にするべきかという話があります。自分が本当に好きなことなら、他人からは途方もない努力や苦行に見えることが、難なくこなせてしまうということがありますね。僕は読書量や一日に会う人の数が人よりも多いと思いますが、本を読むこと、人と会うことが苦痛だったら研究者という仕事は選んでいなかったでしょう。
そういう意味で言うと、自分にとって「苦痛ではないこと」を仕事に選ぶのはとても大切なことだと思います。ただ、それが必ずしも好きなことである必要はないはずです。そして、自分が思っている好きなことが「仕事にしたいこと」とは別物という場合だってあります。仕事にするということは、大抵は上司や発注者がいますから、彼らの要求との折り合いをつけることだからです。そこで交渉をしたくないなら、好きなことはあくまでも趣味としておくという生き方もすてきかも知れませんね。
自分と仕事の相性を見る
人間というのは、なかなか変わらないんですよね。書店へ行くと、意識の変え方の本があふれています。確かに学歴や職歴、資格と違って、意識だけは誰もが何歳からでも変えられそうです。しかし、それは大きな間違いだと思います。『保育園義務教育化』という本でも書きましたが、人間の「能力」のある程度の部分は5歳から6歳までの教育で決まってしまうと言われています。
特に社交性や自制心、コミュニケーション能力といった非認知能力と呼ばれるものは、大人になってから伸ばすのが非常に難しいと言います。子どもの頃、夏休みの宿題がギリギリまでできなかった人は、大人になってからもダイエットに失敗する傾向があるそうです。僕もそうなんですが、自制心や計画性がないということですね。
意識に頼れないとなると、環境を変えるしかない。その意味で転職は自分を変えるチャンスではあると思います。ただ、新しい仕事を始めるまで自分の適性が分からないということも多いですよね。
例えば僕には小説家の友人がたくさんいますが、彼らは小説だけを書いているわけではありません。講演もするし、インタビューも受けるし、逆に創作のための取材をすることも多いし、社交の場に出ることもある。つまり「小説家」に必要なのは「パソコンに向かって一人で小説を書く」という能力だけではないんです。それと同じことは違う仕事でも言えるはずです。だから、転職を考える際は自分の特性と仕事内容、その相性をきちんと考えることが大事だと思います。(談)