「それ、自分を活(い)かす選択ですか」
古市 憲寿が語る仕事―4
試みはもう始まっている
働く型を追うことはない
働き方に正解はありません。なぜなら「働き方」は、文字通りスタイルの話に過ぎないからです。起業家という肩書を持っていても、自分の好きなことができずに下請けだけするような人もいます。一方で、大企業の会社員という肩書でも関わる仕事の全てを自分で決めて、出勤時間も自由に決められる人もいます。
だから「起業家になりたい」「フリーで働きたい」という話は、順序が逆だと思うんです。やりたいことや専門性があって、それを活かせる道が起業ならば会社を起こせばいいだけの話です。起業することやフリーで働くことは、昔に比べればだいぶ楽になりました。資本金は幾らでもいいし、書類を出すだけで誰でも法人が設立できます。「社長」になるのは本当に簡単です。逆に言えばただ社長になるだけなら、全く価値がないということですよね。
最近では、副業を表立って認める企業も増えてきました。会社員とフリーのいいとこ取りもできるわけです。そもそも、昔の日本では兼業が当たり前でした。一家全員が複数の仕事をこなしながら、何とか家計を成り立たせていたんです。
学校卒業後、一つの企業で定年まで働くことが当然だと思われるようになったのは、せいぜい50年ほど前のことに過ぎません。しかも終身雇用といっても、本当に定年まで一つの会社に勤めた人は数割程度でしょう。逆に言えば、それはたかだか半世紀しかない「伝統」ですから、そのような働き方ができる人が減っても驚くことでも何でもありません。研究者という仕事も、今では大学に雇われるだけのサラリーマンが多いですが、昔は社会学者の加藤秀俊さんのように大学教授もするし、大阪万博のプランナーもするし、企業の製品開発にも関わるというような人が珍しくありませんでした。
誰もが働く時代
角川ドワンゴ学園が始める通信制高校「N高等学校」が面白い試みをしようとしています。プログラミングを専攻した優秀な生徒を、高校2年生の段階で同学園のグループ会社や賛同を得られた企業の「正社員」として採用しようというコースを設けたというんです。その生徒は、高校生でありながら有名企業の正社員になるわけです。「大学に行かないといい会社に入れない」という常識を揺るがすような面白い試みだと思います。このように50年前にできた社会制度に今、どんどん風穴が開きつつあります。
日本はこれから若者の数がどんどん減っていきます。つまり若者も高齢者も、男性も女性も、元気なうちは誰もが働き、共に支え合う社会を作っていくしか道はありません。いずれ「定年」や「老後」という言葉は消えるでしょう。元気な高齢者に対して、豊富な社会保障を提供する財力は未来の日本にはないからです。でもそれはそれで楽しい未来だという気もするんです。
先日、財政破綻(はたん)から9年ほど経った夕張市へ行ってきました。映画館が倒産したら自分たちで上映会を開くといったように、市民たちが積極的に街づくりに関わり、自分の仕事と居場所を見つけていました。「必要は発明の母」と言うように、困難な時代だからこそ、これから新しい仕事はどんどん生まれていくんだと思います。(談)