「劣勢をひっくり返すのは着眼」
佐藤 オオキが語る仕事―1
デザインは考え方の一つ
ルールの不思議体験
カナダで生まれ、小学生の時に日本へ帰国しました。とにかく何もかもが新鮮で周囲を見ているだけで面白い。例えば学校で履く靴。カナダでは自宅から履いてきた靴のまま校内どこへでも行きますが、日本の小学校では上履きや体育館履きがあり、さらにグラウンド用の靴にも履き替える。そんな、何種類も履き分ける感覚が「カッコいい!」と思いました(笑)。図画工作になるとスモックを着て、給食当番は白衣に着替え、体育の時間は体操服を着る。かばんはみんなランドセル。そのルールが面白くて仕方がありませんでした。
それぞれが、当たり前だと疑わないことの中に、見方を変えれば楽しめる面白さがあると身をもって感じた貴重な体験です。これが僕のデザインにおけるベースの一つだと思います。例えばサッカーの試合中に、今から全員が手も自由に使っていいとルールを変えたら、その瞬間にどうしていいか分からなくなりますよね。でも、混乱の後には必ず、じゃあその新しいルールの中で何かを獲得しようという動きが出てくる。次の可能性へ頭が働き出すのです。
僕のカナダ時代の愛読書は漫画『ドラえもん』で、本当に何度読み返したか分からないほどです。物語では毎回、のび太が窮地に陥るとドラえもんのポケットから新しい道具が出てきますよね。パニックになった時の問題解決の飛び道具なんだけど、のび太が間違った使い方をしたりしてさらに話は広がっていく。
しかし、これが大事だと思っています。つまり、どんなことでもただ一つの正解があるわけではなく、今までのルールを崩してみるとスキマが見えてきて、その余白に可能性が潜んでいるということです。小学生が、授業に合わせて上履きやウェアを取り替えるルールをどう受け止めているかな、そんなことから着眼は始まるのです。
紙コップの可能性を考える
例えばテーブルの上に置かれている紙コップは、打ち合わせなどが終われば燃えるゴミとして捨てることができて便利ですよね。これにストレスを感じている人はほとんどいないと思いますし、何か課題はないかと問われても答えは出しにくいでしょう。しかし、飲み物が満たされている紙コップを持って走れと言われたらどうか。持ったまま振り返れと言われても難しい。
それは、自分がやりたい行動を紙コップと中の液体が縛っているからです。この不自由なストレスを解消してくださいと頼まれたら、「紙コップに水が入っていても走れるには、どうすればいい?」と考える。この課題は、柄や色がカッコいいというところからもっと広げて、紙コップの自由へと余白を開拓していくことですね。スマートフォンがすっかり行き渡り、機能自体はもうこれ以上追加する余地がないという時、さて、どのようなワクワクで余白を埋めて新しい可能性を広げられるだろうか、ということです。
デザインとは、かつてのようにモノそれ自体の機能や形だけではなく、その周辺の求められる用途などを分解して観察し、それらを構成している多くのパーツを見つける手法です。だからそのやり方は、あらゆる仕事の物差しになっていくと思います。(談)