「俺らしく、真実を考える」
太田 光が語る仕事--2
言い訳は芸人の恥だな
できることなんて分からなかった
映画作りを目指して、芸術学部演劇学科のある大学を選んだんですが、教授に理論を説かれても物足りない。ほとんど授業には出ないまま、様々な舞台を見に行き、大学3年生の時にはシナリオセンターに通っていました。すぐに面白いシナリオが書けるとは思っていなかったけれど、実践的な基礎はここで学びました。
例えば3行プロットといって、映画全体のストーリーは3行で言い切る方がいいとか、シナリオを起こす前段階で、場所やセリフをシーンごとに紙にどんどん書き出す箱書きという方法とかです。頭の中にある映像を言葉にして並べ、それをどう組み立てると面白いか、後から考える。そんな基礎的なことはすごく勉強になった。でもそこから先は、作り手である自分の構想しかないと分かりましたね。
大学は中退し、知り合いの舞台を見に行っては散々けなしたりしてたんですけど、彼らが「じゃあ、そういうお前は何をやってるの?」と聞いてくる。「俺は、自分のやりたいことが見つかるまで何もやらない方がマシだから、何もやってないんだ」と強がって見せながら、やっぱり焦ってました。
新劇団旗揚げのオーディションを受けて合格はしたけど、折り合いが悪くてダメだった。その後、あるライブハウスで素人が舞台に立てる企画を知り、今の相方の田中裕二を誘って出場。その時の15分ネタがとてもウケた。ここから急展開で、プロダクションからスカウトされ、テレビ出演も果たしました。23歳のお笑いデビューでした。
それからは引っ張りだこ(笑)で、元々は笑いをテーマに映画を作りたかった俺ですが、こうしてお笑いの世界に突入していったんです。実は映画を撮りたいという夢は、27歳で初監督をさせてもらって実現しましたが、それはやっぱり大変な力量がいるものでした。いまだ映画に思いを残してお笑いを続けている俺です。
不遇の日々はやってくる
「爆笑問題」としてデビューして一気にテレビ出演やライブが増え、やがて数年してから次第に声が掛からなくなりました。俺は会社勤めの経験がないけれど、期待の社員が上から、あいつは大したことないと言われるのと似ていますかね。入社前は大きな思いを抱いていたのに、頭で考えていたことと現実が違うということを嫌というほど体験する。でも、それが自分を考える機会になるんでしょうね。
芸人の世界では、例えばライブなどでウケたかどうかが明確で、それが仕事の評価につながります。ウケなかったらもう楽屋で打ちひしがれて顔も上げられない。俺も昔は今日のお客が悪いなんて言ってましたけど空しいだけ。さらに所属事務所が大きければもっと売れているはずだとか、マネジャーの働きが甘かったんじゃないかとか。そうやって自分の芸を棚に上げて周囲のせいにし始める。しかし芸人同士はこういう人間を馬鹿にします。
俺たち芸人はみんな、お笑いという難しい仕事で生きると決めてきた。だから、自分の芸を磨かず人のせいにするなんてダサいと感じるんです。言い訳しているヤツは停滞中ですね。よく、独自の研究を笑われた大学教授が逆転したっていう話を聞くと、辛抱している気持ちは同じだなと思います。(談)