仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「「生涯のテーマは揺らぎなく」」
戸倉 蓉子が語る仕事--3

就職活動

元気になる建築を求めて

35歳でイタリア留学

ナースを辞めて建築家を目指し、最初の就職は、リフォームの営業から現場監督まで一人でこなすインテリアの会社でした。見よう見まねでしたが、部屋の寸法の測り方すら知らなかった私が、仕事を取るところからプラン、工事、引き渡し、そしてお金を頂くところまでトータルに仕事を覚えることができました。こうして3年間実践を積み、インテリアコーディネーターのライセンスを取得して独立。仕事を変えることは簡単ではありませんが、目指すものがはっきりと見えていれば力は湧いてくるものだと思います。
 
独立して5年もすると、一流の仕事をするためにデザインを本格的に学びたいと思うようになりました。ある日、イタリアの世界的建築家パオロ・ナーバさんの来日講演を聞きに行き、講演後、会場の外で偶然にも彼が目の前を歩く姿を目撃。すぐさま追い掛け、習いたてのイタリア語で「私はミラノに建築の勉強に行きます。留学したらお訪ねしたいので住所を教えてください」と、急いで手帳の白紙ページを差し出しました。そうしたら「いいですよ」と言ってさっと書いてくださった。
 
そして1年後、私はお客様に「一回り大きくなって帰ってきます」と手紙を出し、休業してイタリアへ建築留学を果たします。ミラノに着き、1週間後にナーバさんの家を訪問。ミラノから電車で40分の、広大な敷地に立つ、18世紀の邸宅を改装した美しい館でした。
 
手土産に福島の会津塗のお盆を携え、1時間ほど滞在。最後にナーバさんが「何か私にできることはありますか?」とおっしゃったので、すかさず「ここで働かせてください。お金は要りません」とお願いしたら、「いいですよ」とナーバさん。こうして、午前中は建築大学、午後は彼のスタジオに通う日々が始まりました。スタジオでは自分からアクションを起こさなければ誰も仕事を教えてくれません。イタリア人スタッフの中に溶け込んで今日何か一つでも学び取ろう。そういう気持ちで1年間を過ごし、国際家具見本市に置くブースの企画の一部を任せて頂くまでになりました。デザインの本場で一流の仕事に触れることは、どんなに苦労があっても心躍る毎日でした。

次を見据えて、学び尽くす

ナーバさんから学んだのは、建築家は哲学者でもあるということです。イタリアの建築家はスプーンから橋まで設計します。日々の暮らしの中の美しさを大切にし、街もまた人生の舞台のために美しくと考えます。イタリア人が話すカンターレ(歌って)、マンジャーレ(食べて)、アモーレ(愛して)という言葉の通り、日常を自分らしく笑って生きると、免疫力を高めて病気を遠ざけるのではないか。ナース時代に感じた病院を変えたいという思いは、この地で確信に至りました。
 
帰国したら、心が躍るような美しい病院や高齢者施設を造りたい。そんな目標を持ち、大学やナーバさんのスタジオで学ぶだけでなく、音楽家のための高齢者施設を見学したり、良い病院があると聞くと出掛けて行ったりなど数え切れないほどの建物を見ました。大学では「高齢者のための椅子と家のデザイン」という卒論を発表し、最高点を頂くこともできました。こうして次に自分のなすべき目標を持ち、イタリア留学から帰国したのです。(談)

とくら・ようこ ●(株)ドムスデザイン代表取締役。一級建築士。1962年福島県生まれ。ナースとして慶應義塾大学病院勤務中、殺風景な病院環境を変えたいと建築家を志す。98年ミラノの大学に留学。建築家パオロ・ナーバ氏に師事。帰国後、一級建築士事務所を設立。「病院らしくない病院」などの志を掲げ、多くの建物を手掛ける。居住福祉賞などを受賞。2016年ベトナムにドムスインターナショナル設立。
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