「生涯のテーマは揺らぎなく」
戸倉 蓉子が語る仕事--4
自分の本音を諦めない
遠回りでも、宝を拾える
大学病院に勤務2年半、20代でナースを辞めてからインテリア業界の現場で必死に仕事を覚え、独立したのは3年後のことでした。会社は軌道に乗りましたが、私の目標は「病院らしくない病院」「人を元気にする環境」をつくる建築家になること。やがてイタリアへ建築留学し、世界的な建築家パオロ・ナーバさんに師事する機会を得たのは35歳です。志を抱いてから10年以上の年月が経っていました。
多くを学んで帰国し、猛勉強して1級建築士の資格も取得しました。でも、仕事がすぐに入ってきたかと言えば期待外れ(笑)。ようやく受注できた住宅の仕事で自分の思い描く設計をお客様に提案し、本場イタリアの建材を自ら輸入して同国から職人を呼ぶなど、試行錯誤を続ける日々でした。
こんなふうに何度も苦境に立った時、大切なのはゴールを自分ではっきりと確かめることだと思います。初めて手掛けた住宅では、イタリアで見た美しい中庭を配して、毎日木や草花を楽しむ豊かさをお届けしたかった。まだ私の頭の中にしかない建物を理解して頂くには、この人は本気だと信じてもらうしかなく、完成後は幸いにも喜んで頂ける住まいとなりました。
こうして手掛ける一つひとつの仕事のゴールと共に、私には生涯にわたる課題があります。それは建物を「人間の命の側」から造るということ。ナースとして学んだ、命に元気を与える視点を根本としていきたいのです。例えば子どもたちの病棟は明るく、楽しく、ユーモラスにしてあげたい。廊下にちょっと面白い仕掛けがあって、それをたどっていくとワクワクするような。新米ナース時代に看護師長に提案して叱られた、そんな「テーマパーク病棟」をいつか実現させたいです。
ナースから建築家として自立するまで、人よりずっと遠回りでした。でも、本当に多くの人に出会い、社会を知り、抱えきれないほどの宝物のような仕事体験を手にできました。だから私は、何か動こうとする人の背中を押したいと思っています。
日本の建築文化を海外へ
イタリア建築の素晴らしさと共に、日本の建築と文化も世界から求められていると私は痛感しています。機会を頂いて2016年からベトナムで街づくりを含めた建築を手掛けましたが、この地の気候は湿度が高く気温も高い。でも密閉したコンクリートの住宅や病院がほとんどで、カビが多く、健康被害も発生していました。
元ナースの建築家としては何とか解決策を考えたい。そこで風通しの良い日本の木造建築を提案しました。日本から優秀な若い大工さんたちも参加してくださり、健康住宅というテーマでホーチミン市内に木造住宅を誕生させました。お茶室もしつらえたのですが、こういった日本文化も楽しんでもらえたようです。
私が実感したのは、日本建築の独自の美しさや高い機能性はもちろんのこと、その技術をしっかりと受け継いでいる若い大工さんたちの実力とビジネス感覚です。どこの国でも十分な仕事ができる頼もしさを感じました。
近い将来、欧米やアジアから日本の建築が求められる可能性が大きくなっていくと思います。仕事を通して夢を語れることは幸福です。(談)