「動き始めてから、考えよう」
山田 拓が語る仕事--3
日本は力強い国と知った
地球行脚でもらった価値観
2社の外資系企業に5年半余り勤務し、30歳を前に僕はワーキングホリデービザを取得して、妻と2人で世界へ旅立つことに決めました。節約して1年半ほど旅する費用もため、自由に動きたくて会社を退職。主に南米やアフリカ大陸の国々を巡ることにしました。キャリアを失うことよりも、多様な世界を知りたいという渇望の方が強かったのです。
それから、スポンサー探しもしました。資金が欲しいというより、子ども時代に、サッカー選手にスポンサーからシューズなどが供給されるのを見てカッコいいなと憧れていて、同じことをやってみたかった(笑)。冒険家でもない夫婦2人のゆるゆる旅で何ができるかと考え、「世界中から日本の子どもたちにその国々の様子を伝えます」という企画書を作って、思いつく企業や組織などへ送りました。すると運良く物やお金をくださる所があり、僕らは「美ら地球(ちゅらぼし)回遊記」というサイトを立ち上げ、旅の発信を続けることにしたのです。
こうして、無謀だとあきれられながら、旅はアラスカのデナリ国立公園からスタート。マッキンリー山が見えるキャンプ場でテントを張ると、その日のうちに、退職して旅をする日本人夫婦に会いました。身近に変わったことをする人があまりなく自分たちをレアキャラと思っていたら、そこに同志がいた。確かに日常環境から脱却するのは難しい。でも行動してみれば珍しくも孤独でもなく、新たな仲間との出会いがあるのです。
また、アフリカや南米各地の人々の暮らしに触れた折には、電気も水道もなく労働も過酷のようでしたが、子どもたちの目は輝いて見えた。夕飯の支度の際は、火を囲みながら大人の美しいコーラスが聞こえてきました。その土地の自然に委ねた暮らしが、とても豊かに感じられたものです。彼らは、そんな当たり前の日常が外の人間に感銘を与えているなんて想像もしていないでしょう。考えてみれば、日本の田舎にも途上国のように自然と折り合いをつけたライフスタイルが残っていたんですね。そこには大切な価値があるのです。
日本の暮らしは素晴らしいよ
旅の様々な経験の中でも、東アフリカのウガンダにある宿泊施設スタッフの青年の言葉は忘れられません。彼は、TOYOTA、NISSAN、SONYなど日本メーカーの名を上げ、お前の国はすごいと言う。そしてうらやましいと続けます。「君たちはウガンダに来られるけれど、自分は生涯日本には行けない」と。欧米や海外に憧れ、日本なんて大したことはないと思っていた僕は、自分たちが、生まれた時から大きな上げ底の上に立っているのだと気づかされました。
そして、旅の最初の頃に訪れた南米ペルーの世界遺産マチュピチュでは、これこそ幻の古代文明だと思い込んでいたものが、実は日本の戦国時代と同時期の遺跡と知らされ、やっと日本の歴史の長さに気づく始末。
2人で巡った国は29カ国、期間は525日間。海外のどこかの国で暮らしてもいいね、と言っていた僕らですが、住むなら日本の田舎を探そうと決めました。もちろん僕のことですからあてはなく(笑)、職もお金もないのですが、この時も「動くが先」と走り出したのです。(談)