「シュートなくして、ゴールなし」
川淵 三郎が語る仕事--4
挫折も希望も次に伝えよ
前例がないなら考え抜くだけ
サラリーマン時代の私は会社の期待に精いっぱい応えていたと思います。与えられた様々な仕事は私を育て、後にJリーグを率いる立場になった時に組織を運営する力ともなりました。ただ当時、プロ野球とは一線を画したプロサッカーリーグの運営は日本でまだ誰も手掛けていない領域でした。だから、ドイツやイングランドのプロサッカーの規約なども取り寄せて読み込むなど、様々な文献を参考にしました。
しかし、日本で前例がない以上、最後は自分で判断するしかありません。「ホームタウン制」というJリーグのコンセプトを理解していない人も多く、時に私は腹を立てながらもその怒りをエネルギーに変え、とにかく考え抜きました。毎日毎日問題が押し寄せてくる中で、「それでもプロ化は必ずサッカー界と地域の役に立つ」と信じて。
前例のないことを始めようとする時、応援してくれる人だけでなく反対する人もこんなにいるのかと打ちのめされることがあるかもしれない。そんな時は、先にあるゴールをしっかりと思い描くことです。何のためにやるのか、それだけは見失わないように。
もう一つ、説得の方法も考えました。例えば、真っ向から反対してくる人がいる。そんな相手を頭ごなしに突き放すだけではなく、相手の心をつかむ幾つかのアプローチも試すのです。
また、理論武装も大事。理屈だけ言ってもだめで、相手が納得する根拠を示さなければなりません。いずれにしろ、忘れてならないのは、そうやって各論で反対してくる人にも、一緒に目指しているゴールは同じだと理解してもらうことです。
「スポーツ」を生きる底力に
私はスポーツの普及をライフワークにしていますが、それはなぜか。原点は60年近く前、サッカー日本代表として大学4年でドイツに遠征した時の「スポーツシューレ」での体験です。
スポーツシューレとは地域のスポーツをサポートする役割を担う施設で、芝生で覆われた広大な敷地に、何面もの天然芝のピッチ、体育館や快適な宿泊棟、ジムなどが完備されており、代表クラスのチームだけでなく、地域の少年チームや障がいのある人たちもそこでスポーツを楽しんでいました。私は、こんな施設が日本にあったならと衝撃を受けました。
その後も欧州へ出掛ける度に、プロ選手が練習をする隣で、子どもや女性、シニアプレーヤーがスポーツを楽しむ地域クラブを目の当たりにしました。
我々は、多くの子どもたちにサッカーの技術は教えているけれど、心の教育はできているか。そう考えた時、スポーツ選手たちの人生が子どもたちの生きた教科書になると思い、10年ほど前に「JFAこころのプロジェクト」という活動を立ち上げました。各競技のアスリートたちが「夢先生」として教壇に立ち、自らの挫折や苦悩、克服のプロセスや喜びを伝える試みです。授業中、集中力を切らす子どもはいませんし、真剣な子どもたちの姿を見て涙する先生もいます。
世代の断絶やいじめなど、狭い世界で息を詰めるこの時代に、スポーツは世代や性差、障がいを超えて人をつなげます。それにはその運営を担う仕事力が最も必要です。この業界に、若い人が手を挙げることを願っています。(談)