「生きがいを追い続ける」
熊谷 和徳が語る仕事--3
「好き!」を糧に生きる
強い感動が、ずっと原動力に
渡米してから1年後にニューヨーク大学へ入学して心理学を学びながら、ブロードウェー養成学校へ通い、また、ジャズクラブなどで多くのタップダンサーから刺激を受けました。とにかく毎日が新たな挑戦の日々でした。
けれども、その当時もまだ日本人にとってタップダンサーという仕事の前例はほぼなかったので、仕事にできるかということは分かりませんでした。ただただ自分の本当に好きなものに更に近づきたい。もっと追求していくにはどうするべきかといつも考え、ひたすら踊り続けていたのです。大学では心理学を専攻していましたが、卒業する頃にタップを仕事にしようと決意を固めました。僕にとってタップはもう切り離せない生きがいになっていましたし、ブロードウェーで積んだ訓練の経験から、日本人の自分にも仕事としてやれるという自信がついてきたのだと思います。
計算や妥協をそぎ落としてみる
滞米から約7年後、26歳で帰国。アメリカでの経験はあるものの、帰国してしばらくは厳しい日々でした。タップを踊る場所もほとんどなく、コンビニでアルバイトをし、夜中に誰もいない六本木の広場で一人で練習したり、ミュージシャンが集う場所などでセッションをさせてもらったりしました。そのうちにアーティストやミュージシャンとの出会いがあり、少しずつ自分の表現活動の場を創(つく)っていくことができました。今思えば、あの頃の自分の想(おも)いが形になっていく日々は大変でしたが充実していて、夢と希望にあふれていました。
どうやって自分の仕事を選ぶか。誰にでも迷いはあると思います。年収や条件などを先に調べた方がいいという人もいるでしょう。でも、例えば人を好きになる瞬間を「恋に落ちる」と表現するように、本当に好きなこととの出会いは計算できないものです。自分の「好き!」に出会えた奇跡はそれだけで何よりの価値であり、それを追い求めるプロセスそのものも宝物だと思うんです。名タップダンサーのグレゴリー・ハインズはこういうふうに言っていました。「いい車に乗りたいからとか、金持ちになりたいからとかという理由でタップをやる人はまずいない。踊らずにはいられないからやっているんだ」と。僕も本当にそう思います。
大切なのは、タップで人を感動させるという意識よりも、自分自身が感動し続けていくことです。初めてタップを見た時の感動やタップシューズを履いた時の興奮。尊敬するタップダンサーを見て涙した日。そしてタップの文化を愛し守る先達から、人生観までも受け取ってきました。それらが皆、自分の表現の中に生きているのです。25年以上踊り続けてきて、今もあの頃のように感動し続けていくことが、それをまた観(み)る人に伝えていく上でも最も大切なことだと思います。仕事として表現活動をしていく中で、もともと自分が「好き」だったという気持ちを犠牲にしてまで収益を優先することはよくあることですが、残念ながら多くの人たちがその結果やめていってしまうのも見てきました。
僕にとって仕事とは、自分の好きな気持ちを創造していくことです。自分たちの心の中の「好き!」という情熱こそが、新しい芸術的創造を生み出す原動力になっていくのだと思います。(談)