「思春期世代から離れずに書く」
辻村 深月が語る仕事--1
仲間は、本の向こうに
学校は窮屈な場所だった
子どもの頃の私にとって、学校はあまり居心地のいい所ではありませんでしたが、中学生になってからその思いは強くなりました。学校は楽しいと大人はよく言うけれど、なぜ私には楽しくないのだろう。もしかしたら、知らない間に楽しんでいる子どもたちがどこかにいて、そうではない自分がおかしいのかと、心が重い毎日でした。友達がいないわけではない。でもグループから何となく私一人が仲間外れにされることもあり、つらかったですね。
私たち世代が子どもの頃は、学校に行きたくないと言うと、親が「つらいなら行かなくていい」と一応言ってくれました。けれど、親がその次に思う唯一無二の正解は「学校に戻すこと」だった気がします。私たちは本当は正解のない世界に生きているのに、正解があると思い込んでしまう。そして学校で命を落としてしまうようなつらい現実が報じられます。
今ようやく、必ずしもそれだけではないという考え方が出てきています。緊急避難として学校を休む、逃げるなどはもちろん大切です。そしてその後も、親は子どもそれぞれに道があることを信じて、学校に戻す以外の方法も視野に考え続けること。家庭を軸に、逃げずに「次」を探ること。その大切さを近作の小説『かがみの孤城』で描きました。本の中では、自宅に引きこもっている女子中学生の部屋にある姿見が光ります。その鏡を通して逃げ場となる世界に出入りするうちに様々な体験をする物語です。この別世界に連れて行ってくれる鏡こそ、私にとっては本でした。学校と家しか身の置き所はないけれど、本が私のカバンの底や本棚で光ってくれて、扉となり、ここだけではない世界があるということを強く示し、主張してくれました。
私が好きだった小説のほとんどは、純文学というよりミステリーやSF、ライトノベルで、もちろん漫画もアニメも大好きでした。でも、周囲からは何の役にも立たない、遊んでばかりいると言われ続けていました。自分の支えであった本を馬鹿にされるのは、とても悔しかった。だからこそ、絶対にそういう本を書く仕事をするんだという気持ちが子どもの頃から芽生えていました。昔も今も、その思いが私の原動力の一つです。
すごい大人が地続きにいる
実際に書き始めたのは小学3年生です。ホラー小説に出会い、感化されてノートにホラー風の習作を書き始め、学校が窮屈だったこともあり、ここで別の世界を広げていくようになりました。そして6年生の時に綾辻行人さんの推理小説『十角館の殺人』を読んで、あまりの面白さに衝撃を受けました。
綾辻さんの作品を次々に読んでいった頃、ある雑誌の企画で一言メッセージを書いたらサイン本がもらえるとあった。募集期間は1カ月。その間にハガキを100枚書いて送ったら、ご本人からお返事を頂きました。地方に暮らす子どもの、その驚きを想像してみてください。大好きな本を書いた大人が、同じ国の同じ時間に生きていて、私に手紙をくれたのです。これは物語ではなく、リアルに地続きだと感動しました。本の向こうには作家がいてファンがいる。それは、それぞれがどんな境遇にいても本の仲間がいるという喜びでした。(談)