「光る目標が人を本気にする」
國中 均が語る仕事―3
「はやぶさ」を冒険の旅へ
自分を信じ抜く仕事を
日本が小惑星探査機「はやぶさ」をイオンエンジンでいくと決め、開発に格闘していた1998年、後から始動した米国が探査機を打ち上げました。ただそれは、私たちが構想していた地球帰還とは異なり、小惑星の近くを猛スピードで通過し、わずかな時間だけ観測するというもの。一方はやぶさは、約3億キロ離れた小惑星へ着陸し、サンプルを採取して地球に戻ってくるというミッションでした。
世界初となるその構想を実現するために、自分の手で必要なものを全部作りたいというのが科学技術者の矜持(きょうじ)です。米国は大きなイオンエンジンを1台だけ搭載する方式でしたが、日本はその身の丈にあった小ぶりのエンジンを4台はやぶさに載せました。当時の私としては、上から下まで全てを独自の構想で製作したかった。
イオンエンジンが使う推進剤キセノンを充填(じゅうてん)する装置も、既にある程度確立した手法が存在していました。何億円かのお金を積めば現状品は手に入る。でも私にはアイデアがあって、その10分の1ほどの金額でさらに優れた装置を作れると主張しました。
その装置の検討を依頼した企業から手紙がきました。これほど困難な仕事に対しての、あなたの荒唐無稽な考え方にはついていけないと。つまり、やれるものならやってご覧なさいという趣旨です。これは悔しかったですね。その手紙を縮小コピーして今も持ち歩いているほどです。周囲の誰もが「本当にお前にできるのか、世界初の仕事なんだぞ?」と言っている。このネガティブな環境はむしろ私には原動力となり、自分が信じている仕事への支えになったと思います。
そうして2003年5月、ついにはやぶさは打ち上げに成功し、宇宙へ旅立って行きました。
こんなこともあろうかと
はやぶさの最大のミッションは、約3億キロ離れた小惑星イトカワに着陸し、地表面の物質を持ち帰るサンプルリターンです。月の石を持ち帰った米国のアポロ計画が最も有名ですが、月以外には前例がない。はやぶさは宇宙航海途中の故障を克服しつつ、05年9月には小惑星に到着。撮影だけでなくサンプル採取作業も遂行しました。
しかし、宇宙空間で想定外の装置トラブルが起き、一時行方不明に。発見され、いったんは「帰還運用」を開始しますが、09年にイオンエンジンが大きな故障を起こしました。万事休すというこの時、「クロス運転」で危機を脱した。エンジンを4台搭載した特徴を最大限に活(い)かし、各エンジンの健全な部品同士を組み合わせて、急ごしらえのエンジン一式として作動させたのです。
大好きだったアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の真田工作班長がヤマトの危機を救う場面のセリフ「こんなこともあろうかと」になぞらえる方もいらっしゃいますが、それは後づけの話(笑)。でもあらゆるリスクを想定し、考えられる限りの手を打つその姿勢には共感。これぞエンジニアリングと思います。
「深宇宙」探査は、前人未到の宇宙に分け入る仕事。人類の知らない新たな現象に出くわして難儀することがあるかも知れない。それでも怖(お)じけずに前進するには、あらゆる人智を動員し、人事を尽くした「宇宙機」を投入したのだという根拠が必要なのです。(談)