「自分にケンカを売ろう」
大友 啓史が語る仕事―3
決まり現場か、荒野か
前例に縛られなくていい
ハリウッドに渡った僕は、世界を席巻する巨大映画産業の実像をつかみたいと思っていました。そんな中、ジョン・ウーやツイ・ハーク、ジャッキー・チェンに代表される香港映画が勢いよくアメリカ映画界に飛び込んできていた。
香港映画のエンターテインメントとしての武器はカンフー、つまり小気味よいほどスピード感のあるアクションです。そこに単純な善悪とか、時代の対立軸とかを持ち込むのがハリウッド映画であり、こんなふうに他国の文化なども取り入れて、新陳代謝を図り続けながら世界マーケットに通じる商品を探し続けているわけです。
一方で、ハリウッド製インディペンデント映画にも、商業的成功とは別次元を目指した魅力的な作品がたくさんありました。業界を支える多様性、それを底辺から支える豊富なリソース、そして何よりそのハイブリッドぶりに感心しつつ、でも稼ぐことだけが全てじゃないよな、映画って、という気づきが僕の学びだったと思います。
帰国してNHKに戻り、連続テレビ小説「ちゅらさん」、ドラマ「ハゲタカ」「白洲次郎」などを撮って、大河ドラマ「龍馬伝」を任されます。毎週放送で1年間。NHKの看板番組ですから、歴史の長い分だけ制作の方法論も決まっていた。僕は何とかその方向に沿って作り上げるつもりだったのですが、ギリギリになって「過去の大河ドラマのような映像を自分の名前で出すのは嫌だ」と思ってしまった。
しかし、新しい映像を作りたいと息巻いてもとても一人じゃ闘えない。そこで「ハゲタカ」「白洲次郎」を一緒に手掛けた仲間から、1年間覚悟を決めて僕と心中してくれそうな力量のあるスタッフに、メインとして参加してもらいました。どんなに風当たりが強くても、裏切らないと信じられる仲間たち。何もかも手探りの撮影は本当に大変で、死人が出るんじゃないかってほどでしたが(笑)、僕らはやり切った。
龍馬のように生きたい
日本を変えようと脱藩して、広い世界へと飛び出していく坂本龍馬を描くなら、龍馬を描くに足る自分でなければならないと、制作を続けながらずっと感じていました。龍馬に比べたら、たかだか大河ドラマを変えるなんて大したことじゃないという論理がいつも僕の中にあった。
龍馬は自分の無力さを自覚していたと思います。自分の視点は間違っているんじゃないか、本当は日本を変える必要なんてないのかも知れない。だからこそ、その必然性を求めて世界を渡り歩くんですね。周りが変わらないなら、自分が立ち位置を変えて自己を革命し、複数の視野を得て世界の実相をつかもうとした。
僕はどうなんだ。ずっとNHKという恵まれた環境で、「あと3本は大河を頼むよ」と言われたけど、でもいい気になるなよ。外に出て自分の足で立ったら、いい仕事ができるのか。結局大きなものに自分を委ねているだけじゃないのか。そんな問いが頭から離れませんでした。荒野へ出て、どこに行ってもやれると証明したかった。根本的には龍馬に感化されたと思います(笑)。
自分を知るなら、自分を変えるなら、僕自身が傷つくような場所に行かなくてはならない。怖い、けれど試したい。独立はこうして決めたのです。(談)