「自分にケンカを売ろう」
大友 啓史が語る仕事―2
バカをやって自分を測る
「面白いこと」は価値だ
迷いの多い法学部の学生でしたが、NHKの就職面接担当者と意気投合して、僕はディレクター職に就きました。配属先は秋田放送局。都心で働きたい気持ちが強かったせいか、秋田での新人歓迎会で「こんな遠くには来たくなかった」と酔っ払ってクダを巻いたひどいスタートです。翌朝局長に謝りに行きましたが、生意気な若造と煙たがれるかと思ったら、「君は大物だな」と励ましてくれました。
50代の先輩チーフディレクターに至っては、「型にはまるなよ」と面白がってさえくれました。まだまだ大らかな時代だったんですね(笑)。
当時の秋田局は、地方独自の編成で放送される番組数が多く、僕のような新人でも次々と制作を任されました。ある時、若い人向けのスタジオバラエティー番組の担当になったのですが、23歳の僕は、何だか東京の流行番組をもじったようなタイトルが嫌で、タイトルバック無しでいきなり番組を始めてみたんです。若いならそのくらいは試してもいいのではないかと思っていましたが、やっぱりそれはルール違反、タブーの領域だったらしく、非難は相当なものでした。
しかし、先のチーフディレクターは「大友、面白いこと以外に価値はない。もっとやれ」とけしかけ続けてくれました。誰かがルールを破らなければ、たちまちマンネリ化すると知っていて、僕をバカをやる先鋒(せんぽう)として見ていたのかも知れません。まだまだ技術もおぼつかない新人でしたが、僕の中でその言葉は強く残りました。「本当に面白いことは何か」「お前はそれでいいのか」と自分に問い、思い切って踏み外してみる。そうして面白さのコマを増やし、表現する技術をしっかりと磨く。仕事は、囲まれている柵を壊し開拓する姿勢が大事なのだと思います。行き詰まったプランがあった時、あいつを呼んでこいと言われるようになれればいい。
ハリウッド映画人の熱
ハリウッドで映像の勉強をしてこないかという話が来て、1997年から留学をさせてもらいました。巨大産業ですから、新しい方法論や技術が生まれれば、あっという間に映画を学ぶ人にもシェアされます。そんな環境で脚本や映像制作、そして映像ビジネスを必死で学んだ2年間でした。最初の頃は、頭がクラクラするほど情報量が多いし、観(み)るべきものもキリがなくて、そのスケールに圧倒されていました。
でも全体像が見えてくると、いくら刺激的な企画でも、リスクが高ければ何年でも塩漬けにされることもあるし、映画が政治的に利用される場合や、長いものにも巻かれる現実もあることを窺(うかが)い知りました。日本のサラリーマン社会と同じような小さな村意識を感じたんですね。
それでも、映画というある種のギャンブルに、あらゆる戦略とエネルギーをつぎ込んで必死になるハリウッドの映画人は刺激的でした。人々を楽しませる仕事は簡単じゃない。どれだけの狙いと時間と予算がいることか。ガンガン新しくなる特殊撮影技術も制作の要だと思いました。僕はこれからも、そういう映像表現の仕事に頭を突っ込んでいきたいのか。学生のように自問しながらも、エンターテインメントの洗礼を受け止めました。(談)