「自分にケンカを売ろう」
大友 啓史が語る仕事―1
誰にも迷走時代はある
バブルで浮足立った世代
将来に夢を持とうなんて大人は言うけど、僕は、小学校から中学校途中ごろには仕事に関わる夢をもう持たなくなっていました。野球少年だったので、目標を持って一生懸命ロードワークもやっていたんですが、ひざを痛めて高校で野球ができなくなった。その後も他のクラブ活動で頑張ろうとしたけど、なぜ自分は、苦しいだけなのに走っているのかと気持ちが続かない。そういう時期に一人で劇場へ行き、映画を観(み)始めてはいました。
ジャーナリストにも興味はありましたが、弱者のために社会正義を実現するみたいな建前論に引かれ、何となく弁護士を志望して法学部へ入りました。ところが時代はバブル期。女子学生は派手だし、男子学生も流行の服を着て本当に浮かれている。まあ、僕もそれに追いつこうとしてDCブランドのバーゲンに並んだりしたけど(笑)、やっぱり乗れない。チャラチャラするのも楽しくないので、それなら学生時代に司法試験に受かってしまおうと、週に3日予備校に通い、かなり真面目に勉強を続けました。
ただ、途中で気持ちが引っ掛かっていくんです。授業では実際の事件をケーススタディーに挙げ、該当する人物を甲、乙、丙として、あなたはこの事件をどう考えますかと問われる。僕はまだまだ斜に構えている若造でしたから、「甲、乙、丙って記号化してるけど、それぞれの年齢は? どんな家庭環境なの? 個人の条件によって変わるよ」と突っ掛かりたくなっていきました。そんなこともあって法律って嫌いだ、と逃げたくなる。若い時のやりたいことなんて怪しいものです。
就職面接官と意気投合する
バブル時代は学生の売り手市場だったので、僕は試しに50社ほど就職試験を受けたのですが、その中でNHKの面接官と思い掛けず話が合いました。NHKは最初から職種別に、ディレクター、アナウンサー、事務、記者などを志望し、合格すればそのまま配属される仕組みです。僕はディレクター職志望。「どういう番組を作りたいか?」「どんな番組に感動したか?」と問われるままに話したのは、海外の内戦を取り上げたドキュメンタリー映像で、一人の兵士が、失った足の指がかゆくて眠れないと語る姿についてでした。いわゆる幻肢という状態ですね。
僕はそれを種にテレビと人間との関係性を話したんです。テレビに映っているものは実際には触れることができないけど、現実として存在する、幻肢現象と同じように、映像は人間という生き物の認識に何らかの変化を与えているんじゃないかと。
もう一つ、NHKで放映された番組「アインシュタインロマン」に感動していたので、天才とはどのようにできているのか、という映像を作りたいと話しました。日本人では博物学者の南方熊楠がいいなどと盛り上がって、トントンと入局が決まったのです。
映画を観るのが好きだった高校の頃は、映像を作りたいと思ったことはなかったし、ましてや現在やっているような映画監督を想像したことなど一度もありません。そもそも弁護士志望はどうなったんだと(笑)。流されまくった若い時代ですが、映像の面白さに引き寄せられ、挑戦してみようと思うようになった。仕事にはそうやって出会っていくのかも知れません。(談)