「選んだ仕事に魂を込める」
吉田 克幸が語る仕事―3
一切を捨て60歳で原点へ
発想を枯らさないために
物作りにゴールはない。それどころか、経験を積むほどもっと試したいということが増えていき、私は自分が作りたいものを追い求めて60歳で独立しました。それまでの実績や人から惜しまれるポジションなどは、私にとってはどうでもいいことで、死ぬまでにどれくらい自分らしい仕事ができるのかやってみたかった。それは、晩年まで物作りを極めようとし続けた父の生き方でもありました。
資金も後ろ盾もなく、全くのゼロから始めると決断した時に、一緒にやるよと、息子の玲雄が力を貸してくれたことは本当にありがたかったですね。アメリカで映画や写真、アートを学んでおり、映画原作者でもあります。ただ、たった2人でスタートしたので、経営に関する数字や法律関係なども全て息子が引き受けてくれた。そして、私を信頼して若いスタッフや職人さんら10人ほどが集まってくれたのです。うれしかった。「じゃあ本物を作ろうな、みんな」と力が湧いてきました。人が真剣にやってきた仕事は、必ず誰かが見ているものです。
私の大きな原動力は、空想です。ありとあらゆる学問や世の中の事象などに触れると、様々なアイデアが生まれてきて止まらなくなります。例えば無人島で暮らすロビンソン・クルーソーだったらどんなバッグを持つだろうか。また、西郷隆盛は幕末の功績で明治政府から重職を請われたのに自ら野に下ってのんびりしていたそうだ。そんな時に私ならどんなバッグを持たせるだろうか。民俗学者の宮本常一なら学究の旅に必要なカバンはどんなものになるだろうか。
人と衣服が密接なように、カバンも、その時のその人ならではというものがあるでしょう。「人間に必要なもの」としてバッグや衣服を考えていくと、考古学や民俗学、歴史、文化、芸術、各国の衣類、色彩など学びたいことが尽きません。世界を映し出したドキュメンタリー映像などにも触発されますね。このように、空想も仕事にできることはこの上ない幸せです。
気持ちのいい物が本物
独立した時に玲雄と決めたのは「これからは本当に気持ちのいい物を作ろう」ということでした。体が喜ぶ質感で、国も年齢も超えるようなスタンダードを考え抜き形にしていこうと。例えば若者からおじいさんおばあさんまでが持てる、軽くて、触り心地が良くて、使いやすくて、そして格好いいバッグ。これがないと困るよと、世界中から求められるような製品です。洋服にしても下着や靴にしても、触って気持ちがいい、身に着けて気持ちがいいという方向へ、これからもっと進むと私は直感しています。
幸運なことに私たちが暮らす日本は、島国であるお陰で、ゆっくりと独自の素晴らしい技術や文化が育ちました。長い歴史があるこの国に、一体どれだけの民俗的な宝が眠っているのかと思うと、じっとしているのがもったいないですね。複雑な自然があって、四季のお陰で暑いことも寒いことも体験できる。どのように気持ち良く暮らしていくか、日本には本物へのヒントがあふれています。若い人が仕事を考える時、日本を活(い)かし切れと伝えたいですね。(談)