「脳に汗をかき、一心に考えよ」
森川 亮が語る仕事―3
涙するほどの失敗は糧です
過去の守りは、今日の足かせ
僕は、新しい価値を生み出すことこそ仕事だと考えている人間です。だから、自分が求める仕事を実現したくて転職をしてきました。テレビ局から電機メーカー、そしてパソコン向けオンラインサービスを展開するベンチャー企業へ。ここで36歳にしてまた平社員となり、社員30人ほどの赤字会社だったので給料も激減。周囲があきれるような選択だったのですが、若い会社ならではの自由がありました。
このベンチャー企業、当時のハンゲームジャパンは、僕が入社してから4年後に、日本のオンラインゲーム市場でナンバーワンになることに成功しました。しかし、いい時期はそれほど長くは続きません。その頃登場してきた携帯電話フィーチャーフォンへの対応に出遅れてしまったのです。サービス開発は他社に2年も先駆けて進めていたのに、どこかでパソコン向けの方が重要だと「守り」に入ってしまったのですね。フィーチャーフォンを馬鹿にしたとも言える。それこそ一流のシェフが、「ファストフード店では自分の技術が活(い)かせない」と思うように。でもユーザーは、もっと気軽な楽しみ方を求めていたんです。
時代は、生き馬の目を抜くように進んでいきます。ライバル社が次々と成功していく中で僕たちは苦戦し、思うようにいかずに部下と共に声を上げて泣いたこともありました。そして間もなく、今度はスマートフォン(スマホ)が登場してきます。手痛い失敗をしていたので今回は迅速に動き始め、検索でトップになろう、本気でグーグルと対決しようと4年ほど開発に全力を挙げました。しかし、すでにポータルサイトのライブドアを買収していたにもかかわらず、うまくいかない。社内には、次のプロダクトを出してダメだったら解散だというほどの緊張感が漂っていました。
会社がそのような危機的状態にあった頃、2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。そしてこの悲惨な災害が、新たな価値の本質を気づかせてくれることになったのです。
簡単に、すぐつながるように
震災の2日後、いったん会社を閉鎖して皆を帰し、僕は何人かのメンバーと一緒に関係者の安否確認をし続けていました。その時ツイッターやフェイスブックが確実で速いと知り、それならスマホで、もっと「つながる」ことだけに特化すればいいと考えたのです。今までの失敗を反省し、スマホへの準備はほぼ整っていました。
震災から2週間して、仕事を離れていたメンバーのエネルギーはものすごく、一日も早く人々に届けたいという熱気にあふれていた。スマホの新しいアプリとして、余計な機能は全て排除し、SNSが電話番号だけでつながる「LINE」が、こうしてわずか1カ月半で完成したのです。彼らは社会の役に立つという、本当のやりがいを全身で感じていたのではないでしょうか。
どんな仕事も成功するか失敗するかは分からない。だから「絶対にこれでいける」というところまで追求してからまな板に載せるべきです。登山のように頂上へのルートを何通りも検討し、最適なルートを考え抜く。それで失敗したら、つまずいた理由がはっきりと分かります。失敗から得る糧は、必ずあなたを支えるはずです。(談)