「自然のエネルギーを描き残す」
アラン・ウエストが語る仕事―1
画家への可能性を信じて
8歳で仕事を決めた
なぜ日本に移り住み、びょうぶや掛け軸に絵を描いているのかとよく聞かれますが、そこには長い道のりがあります。記憶をさかのぼれば3歳から絵を描いていました。私が生まれ育ったのは米国の首都ワシントン。ホワイトハウスから車で20分ほどで、木々に囲まれた自然豊かな地でした。幼い頃から花や木などの植物が好きだった息子のために、両親は裏庭に花壇を作り、私は毎日飽きずに草花を描いていた。
子どもなりに絵描きになりたいと言ってみるのですが、やはり周囲からは難しいよと言われるだけでした。ところが8歳の時、小学校の先生が「将来の仕事を決めるなら今がいい」と背中を押してくれたんですね。早く決めて、人生設計的な発想で計画を立てていけば、可能なこともあると。それなら確率を上げようと、早速、放課後に油絵教室へ通い始めました。
私の子どもたちを見ても、8歳はうまい具合に独立心や自我が芽生える年齢です。自分でかじ取りができるなら、希望をかなえられる可能性はあり、先生はそれに気づいていらした。それからの私は、もちろん多くの絵を描き、絵を仕事にするにはどうするかを考えて行動するようになりました。14歳の時、ある劇団から12メートル×6メートルの大きな舞台背景画を依頼され、人生初の注文制作を手掛けたのですが、これは私の絵に強い影響を与えるほどの体験でした。
一つは、視界いっぱいの絵の中へ自分が体ごと入っていくような快感を味わったことです。家に帰ってイーゼルに載せた小さなキャンバスに向かうと、そうはならない。また、ネトネトの油絵の具とは異なる、サラサラと塗れるペンキを知り、自然を描きたい私にとってもっと使いやすい画材があるはずだと考えるようになりました。
依頼されて人は成長する
もう一つ、初の注文制作では、人の希望を聞いてそれを満たすような思いで描くことに重要な意味があると知りました。数ある演目に合わせて描くには、自分の表現の範囲や技術を超えるものも必要となります。どうすれば効果的に表現できるのか、常に腕を磨かなければなりません。自分の可能性を探し、成長していくきっかけがここに生まれてきます。依頼者から「とても良かったよ」と喜んでもらえるのもうれしかった。そして締め切りを守る大切さも学びました。
14歳と言えばまだ中学生ですが、舞台の仕事をしたことで、自分の将来に対して視野も行動も更に広がっていきました。私は、花びらの透明感や繊細な曲線、自然界の美しい濃淡や生命感を描くために、油絵の具では納得がいかず、そのフラストレーションがピークに達してキャンバスや絵の具などを工夫し続けるようになりました。
例えば、同じ油絵でも中世ヨーロッパの作品はディテールがきれいなのはなぜか。当時はキャンバス地ではなく麻が使われ、更にその上にウサギニカワが塗られていたため滑らかだったのです。私自身はそれでも油絵の具のネトネト感には満足できず、顔料にウサギニカワを混ぜてみました。するとサラサラした液体のような絵の具ができた。これは画期的だと美術界からも評価されました。もちろん私の画家への希望はますます強くなり、手応えを感じるようになっていきました。(談)