「どんな体験もギフトに違いない」
福岡 元啓が語る仕事--4
起業への助走は長くても
会社の退職に迷い続け
大阪の毎日放送で4年間のラジオ番組を担当後、テレビ報道局に記者として異動。大阪府警記者クラブの事件記者など、6年弱の記者生活を経験し、東京支社のテレビ制作部へ。やがて、第一線で活躍する人に密着する番組「情熱大陸」のプロデューサーになりました。毎週の放送を年末年始も休むことなく7年半。多くの一流の方々に出会い、僕は自立した生き方というものに憧れを持っていきました。
テレビ局で制作の仕事に恵まれ、定年まで働くのが当たり前と思っていたけれど、それでいいのか。別の生き方もあるのではないか。ただ、自立を意識してもどう行動したらいいのか分からず、早稲田大学ビジネススクールの模擬授業に参加してみました。きっと机上のノウハウばかりと思い込んでいたら、担当の内田和成先生が「ビジネスは直感です。右脳で考えた方がいい」とおっしゃった。意外でした。
左脳を使う理詰めの仕事はしてこなかったので、右脳でビジネスができるなら今までの経験を生かせるかも知れないと入学。夢中で学べば学ぶほど、ビジネスの課題解決は「情熱大陸」の制作と似ていました。例えば、対象の方の悩みや目的を探り、引き出して解決へと伴走するとか。ドキュメンタリー制作のやり方で企業の映像制作をすれば、経営者の課題を解決し、企業をよりよくさせることができる。それなら起業してみたいと大きく気持ちが動きました。
それでも、会社を辞めて起業を目指すのはとても怖かった。やってみたいという気持ちの一方で、自分は40歳を過ぎた会社員なのにそんなことができるのかと悩み続けました。そして内田先生に相談したのです。「あなたは『情熱大陸』という番組を手がけ、こんなにチャレンジャーがたくさんいるということを責任者として発信してきた。挑戦することの素晴らしさを発信してきたその張本人が、自分だけ安全地帯にいるんですか?」。その言葉は本質を突いていました。
中年の危機から新しいロールモデルを生む
キャリアを重ねた40代は中年の危機と呼ばれ、自分の人生を振り返るタイミングでもあります。僕もそれにどっぷりハマりました(笑)。ただ、終身雇用が崩壊した今は新しいロールモデルを作っていくしかないのです。
とは言えそれは一人では無理。周囲の多くの力を借りながら、毎日放送の社長に事業計画を相談し、新しいロールモデルを提案しました。最終的には退社・独立する僕に、第三者割当増資という形で一部出資をしてもらうことになりました。勤務していた人間が古巣から出資を受け、つながりながら羽ばたいていくというやり方も、これからはアリなのではないでしょうか。
今は映像を軸に、企業の悩みやニーズを解決する仕事をしています。映像コンテンツの制作、イベント施策、YouTube運営など、多様な事業を通じてクライアントの役に立てた時には、テレビ局で制作畑を歩んだ経験と、一念発起してビジネススクールで学んだ体験、そして思い切った起業の、そのどれにも意味があったのだと思えます。
45歳で起業し、今はコロナ禍の試練のただ中にいます。それでも学び続けて、自分が選んだ道で社会貢献をしていけたらいいですね。(談)