「人生は切り開く価値がある」
伊藤 真が語る仕事----3
仕事の真の目的を求めて
自分なりのぶれない原則がいる
私が弁護士を目指したのは、将来の可能性の幅が最も広く、先が決まっていないおもしろさを感じたからです。また、「人は皆違っていいはずだ」という子どもの頃からずっと感じてきたことが日本国憲法の中に「個人の尊重」として表現されていたからでした。
法律を学び、憲法を多くの人に伝えたいと考え、大学卒業後に弁護士として仕事を始めました。その駆け出しの頃、初めて大きな傷害致死の刑事事件を担当することになり、事件記録を調べ尽くして拘置所へ被告人の接見に行きました。弁護の方針、刑の見通しなど、どんなことにでも答えるつもりで準備をしていった私に投げられた質問は、「先生の人生の目的は何ですか? それはなぜですか? そのために今、何をしていますか?」だったのです。
考えたこともなかったので、たじろいではまずいと体験を交えながら何とか対話しましたが、かなりの衝撃でした。弁護士というのはこの被告人のように、切羽詰まって起こした事件と葛藤している犯罪者とも関わります。ドロドロした様々な問題や事件が絶えない社会で、お前はしっかりと当事者の人生に向き合っているかと問われた気持ちでした。仕事の目的をどこに置いて生きているのか。思わぬ課題を突きつけられたのです。
一生懸命に法律を学び弁護士になるわけですが、法律とは、不完全である人間が作った道具であり、それを用いて不完全な人間を裁くわけですから、完璧な答えが出せないことは山ほどあります。法律に当てはめたはずの結論が正しいという保証もありません。
老老介護のつらさから精神的に追い詰められて最愛の伴侶を殺(あや)めてしまった被告人が、実刑判決を免れた後に自分自身を罰するため自殺してしまうこともあります。法律は万能ではないからこそ、自分なりの原理原則を持って一人ひとりに向き合うことが重要なのだと思います。
法律はテクニックではない
私はそれを「マイ・プリンシプル」と呼んでいます。あらゆる職業においても必要なのだと思いますが、こうした「ぶれない軸」を持った法律家や、憲法価値を実現する法律家を一人でも多く世の中に送り出したい。前述した刑事被告人の質問によって、それが私の人生の目的だと気づき、間もなく弁護士の現場を離れて法教育に全力を注ぐ道を選びます。
最初は司法試験対策を中心とした大手予備校の講師となり、多くの独自の学習方法を開発して十数年間過ごしました。合格実績を出す人気校講師としての評価もいただきましたが、私は受験をテクニック修得ではなく、人が生き方を見つめ直すきっかけと捉えていたので、30代半ばに「合格をめざすだけでいいのか」と悩み始めたのです。政治家はどうかなど他の選択肢も考えましたが、モヤモヤしたまま退職します。そして自分は何に対して一番幸せを感じてワクワクするか、自分が一番得意なことは何かと考え続けたのです。
たどり着いたのは「憲法の理念を伝えたい」という私の原点。そのために挑戦したのが、圧倒的な合格実績を出し続けながら、真の法律家を育成する新たな塾の立ち上げでした。(談)