「少しずつ何度でも人は変われる」
工藤 公康が語る仕事--4
今から次の現役を目指す
5年後をリアルに描けるか
監督になってから僕が気づいたのは、コーチ、選手をそれぞれ「点」だけとして考えるのではなく、自分も含めたその点と点をつないで「線」にするべきだということでした。つながりを重要視し、一人ひとりの可能性を広げ、互いに成長を助け合うチームを目指したのです。そのために僕なりの視点でおよそ7年間、約90人のチームメンバーを見つめてノートに記録し続けました。
野球選手を続けるのは難しいものです。現役選手のプロ1軍での在籍平均は約9年という数字で分かって頂けるでしょうか。多くの選手は20代後半か30代の初めに、次はどうするかという現実に直面します。僕は監督として選手の力を伸ばし、試合に勝ち、1年でも長くユニフォームを着て欲しいと真剣でした。もちろん90人余り全てをレギュラーにはできませんが、誰もがチームの中で同じように切磋琢磨(せっさたくま)して欲しいと伝えてきました。今レギュラーになれなくてもトレードに出されても、諦めずに自分を鍛え続ければそこからまたチャンスが生まれるからです。
野球の技術は反復練習でしか身につきません。しかもただやればいいのではなく、しっかり考え計画してトレーニングしなければ自分の体に染み込んでこない。我慢して継続する覚悟が選手生命を長くするのだと思います。やがて選手として現役を引退する時が来ても、精いっぱい努力してきた自分を信じて「俺はまだまだこれからだ」と次の仕事に挑んで欲しい。
次の行動の足がかりを作る
未来を創るために僕がしてきたことの一つなのですが、スケッチブックやノートを開き、まずはランダムに思いの断片を書いていきました。何がしたいか、どんな自分が思い浮かぶか。そして実現のために誰が必要か、どんな技術や学びがいるか、何に貢献したいのか。その書いた内容から線を派生させ、より具体的に詳細を詰めていくのです。実現が難しい時や厳しい場合は、何が原因なのか、どうしたらうまく進むのかを一つひとつ分解してクリアにしていくこと。自分一人ではなかなか動き始めるのが難しいなら、まず相談する相手を探すことです。僕にはこのやり方が効果的でした。
人生は一生勉強です。僕は現役引退後に50歳で大学院に入り、野球選手の障害予防について研究を進めました。それは、子どもたちも含め選手がケガや故障で野球を諦めないように支援したいから。さらにその背後には、日本の野球界をもっと盛り上げたいという大きな夢があります。プレーヤーもファンの皆さんにも野球があって楽しい、幸せだと感じてもらいたいのですね。
僕は、いつでも今を全力で生きることが大切だと思っています。何かできることはある、見つけようと。(談)