「少しずつ何度でも人は変われる」
工藤 公康が語る仕事--3
誰も一人では輝けない
チームは全員の気持ちで動く
現役引退後、約3年を経て福岡ソフトバンクホークスから監督の要請を頂き、ただひたすら過去の経験と自らの野球観を頼りにして、監督就任1年目の2015年にリーグ優勝と日本シリーズ優勝の連覇を果たせました。しかし翌16年は2位。個人が強くなれば勝てると思っていたけれど、それだけではチームを団結させられなかったのです。反省して、監督は何をすべきか、自分と向き合いました。
監督は選手に、能力を上げて技術を磨いてもらいたいから相応の練習を要求します。その戦略自体は間違っていないと思います。ただ振り返ると、僕は例えばエラーした選手に感情的に怒ってしまっていた部分がありました。選手はすでに「やっちまった」と悔しがっているのに、追い打ちをかけていた。僕の観察力が足りていなかったのですが、やがて気づきました。ハードな練習や叱責(しっせき)だけでは選手のモチベーションが上がらず、上達につながりにくいのではと。
エラー直後に下を向く選手。以前なら見過ごしていたでしょう。でも僕はコーチを呼び、選手本人に「どうした」と尋ねて今後のために何をするか聞いてと頼みました。すると選手は、今日のようなプレーを二度としないよう明日は早く来て練習したいと願い出たそうです。僕はコーチに「そうか、指導を頼む」と言い、人に預けることの大切さを知りました。それまでの僕はコーチ、選手をそれぞれ「点」で考えてしまっていた。しかし気づきを得てからは、自分も含めてその点と点をどのように「線」にしていくか、つながりを重要視するようになりました。
そして、時には試合の中で選手をかばったり、慰めたり、起用したのは監督の責任だから思いっきりプレーして欲しいという気持ちを伝えたりするように心がけたのです。簡単なゴロでもエラーはあるから下を向くなとコーチを通して伝えもしました。失敗をすぐに責めず、なぜそうなったのか本人やコーチも含めて確認し、最後に監督がかける一言がすごく大事だったのですね。
一人ひとりを記録し記憶する
監督就任後、僕はいつもノートに記録する習慣を持ちました。監督を退く日まで約7年間書き続けてきた私の宝です。ノートの半分は試合中に書いたスコアブック、あとは選手の動きや表情、しぐさ、そして状況ごとの選手の思いや感覚を聞き、僕なりの視点で記してきました。そこには気がかりに思うことや監督の反省などもあったのですが、でもそれを基に試合のシミュレーションを徹底することができました。
約90人のチームメンバーについても、本人の背景や家族のことなども踏まえ、言葉がけや伝え方を考えました。もし何かあったら家族を優先するようにとも言ってきました。また、選手たちに汎用性の大切さを伝え、特に野手には一つのポジションだけでなく、二つ、三つと異なる守備の習得を託しました。一カ所にしかはまらないパズルのピースになって欲しくない。選手一人ひとりの長所が発揮され、プロとしての可能性や未来を広げて欲しい。そういった思いからです。
チームは技術だけの集合体ではない。監督はリーダーとして一人ひとりに視線を注ぎ、自分も含めて互いの成長を助け合うものだと思います。(談)