「動こう、今、心惹(ひ)かれることに」
小泉 今日子が語る仕事--2
吸収スポンジになろう
仲間が表現を広げてくれた
16歳で歌手デビューし、アイドルを仕事と捉えて自分の足で生きていく喜びを感じていました。求められるアイドルらしさをと自己演出を始めたら、周囲のクリエーターや大人たちが面白いと協力してくれるようになり、多くの方とコラボレーションをさせて頂きました。そのお陰で自分の表現を続けるベースができたのだと思います。だから、人に声をかけて一緒に仕事するということを大切に感じています。
例えば歌手時代に、私のヘアメイク担当の男子がバンドをやっていて、そのライブを見に行ったらすごくカッコ良かった。これはみんなに知ってもらいたいと誘って、当時のテレビ音楽番組「夜のヒットスタジオ」などに一緒に出演。それが東京スカパラダイスオーケストラだったりしました。私は自分のファンの方を友だちのように感じていて、好きなバンドや劇団を紹介できるファンという仲間がいることが楽しいんですね。
ラジオ番組も長くやっていましたが、その頃、今は亡き川勝正幸さんに出会いました。彼は自らを「ポップウイルスに感染した『ポップ中毒者』」と呼ぶエディターで、番組の構成作家としても参加してくださった。1980年代後半から渋谷系アーティストに着目し、いち早くブームを起こした人でもあり、私にも多くの仲間ができて新しい音楽やカルチャーに感化されていきました。そのラジオ番組で時々、特番のような形でライブをやらせてもらってさらに音楽友だちが増え、ポップ音楽の世界が次々と開けていったのです。
仕事を共にする人からの影響は本当に大きい。特に若いうちはまだ、知識や経験がそれぞれポツポツと点在しているようなものだと思います。私の場合もそうでした。サブカルチャーやポップカルチャーなどに興味はありましたが、「それが好きならこういうのがあるよ」と、点を線へとつなげてくれる大人がいて、それを表現する仲間がいた。この頃から、アイドルらしくないと言われ始めた私「コイズミ」は、未知の音楽の吸収にときめいていたのです。
エンターテインメントを信じる
歌手として精いっぱい仕事をしながら、私は関心があった演じる世界へも踏み出していきました。歌もそうですし、たった一本の映画も誰かの気持ちを支えることができる。今まで自分の目で見ていた世界がパアッと変わるくらい、鮮やかに塗り替えられた体験ってありますよね。私自身もそうやって映画や曲を信じて育ってきたのです。
もう十六、七年前でしょうか。台風の被害でバスが水没し、乗客、乗務員三十数人がバスの屋根に避難して、歌を歌って励まし合い夜を乗り切ったというニュースを今も覚えています。また、このコロナ禍による外出自粛時に、ヨーロッパのアパートのバルコニーで楽器を演奏したり、歌ったりしている映像をたくさん見ました。音楽を始めエンターテインメントは人に必要だと改めて感じたし、私もずっとそれを裏切りたくない気持ちでいます。だから人の前に出ている時も、裏方でも、必死に立っている感じ。それが私にとって生きている実感になり、止まることなく循環している力だと思えます。(談)