「迷っているなら、動く時です」
仲 暁子が語る仕事―1
証券会社を辞め漫画家に?
仕事は面白いに決まってる
母が、自分の望んだ仕事を追い続けて生きている人なので、大人になったら自由に面白い仕事ができる、仕事とは楽しいものなのだと感じて育ちました。
大学時代はフリーペーパーを創刊するなど、ゼロから1を立ち上げる起業ごっこもやった。また、京大生のベンチャー企業などにインターンとして採用され、ほとんど学校へ行かず朝から夜まで社員並みに働いていましたね。多くの学生は職場や仕事を知らずに就職するけれど、私は経験が豊富だから、進路も自分で見極められると自信も相当でした(笑)。
ところが、いざ就職競争が過熱してくると周囲に流されていった。就職偏差値というか、難易度の高い企業から挑戦するというメンタリティーがむくむくと頭を持ち上げてくるのです。受験競争もそうでしたが、渦中にいると見えもあり冷静にはなれませんでした。そして外資系証券会社に採用されますが、人気企業は当然仕事への要求も高い。金融業界という未知の職場で全力での仕事が始まりました。
所属は営業。金融の世界は、既存のシステムをいかにうまく回して業績を上げるか、いかにクライアントと良好なコミュニケーションを取って信頼されるかです。
そして、何とか仕事を回せるようになってきた頃、100年に一度と言われるリーマン・ショックが起き、自社を含む多くの企業で人員削減が実施されて、結果としてフロアの雰囲気は一変しました。残された私のショックは大きなものでした。
24歳で退職してみた
就職してわずか半年で経験した激震。その当時は驚き、悲しかったのですが、のちに投資銀行界隈(かいわい)ではそういう人員削減は一般的であり、辞めた人たちもみな再就職して元気に働き、昔の同僚とも仲良くしていると知りました。で、ふと、私のやりたい仕事はここにあるのかなと思ったのです。入社後から漠然と迷いはあったけれど、それなりに仕事は面白く精いっぱいやってきた。毎月お給料も入る。惜しい。そしてやはりまた、人の目が気になります。
実は、私はずっとひそかに漫画家志望でした。けれどまだ勝負に出たことはない。「それでいいのか?」と自分に問いかけ、「やってみよう」と自分に答えたのです。気まぐれに聞こえるかも知れませんが、やりたいことは浮上してくる。よく言う「社会の成功常識」とは違うけれど、いくらでも自分の情熱を注げそうな気がする。それは「抑え込んでしまうにはもったいない気持ち」ですね。
証券会社を辞めた日は晴れ晴れと解放感に包まれ、記念に自分の手を撮影しました。この小さな手で何ができるか、と。そして私は半年間、表現したいことを全部注いで漫画を描き続けました。作品は30作以上。自信作は出版社の応募に送り、4次が最終という選考に3次選考までは残る。いくつかの作品はいい所まで行きましたが、デビューまで突き抜けることはできませんでした。
そんな中で私は、次第に漫画投稿サイトを作る面白さに目覚め、これが次の仕事へつながります。「動いてみると新しい場が現れるのか」。こうして行動の大切さを実感し始めたのです。(談)
出典:2015年2月1日 朝日新聞東京本社セット版 求人案内面