仕事力~働くを考えるコラム

就職活動

「生涯学ぶと腹をくくろう」
中原淳が語る仕事--1

就職活動

大学の授業に絶望した日

学習欲を奪っていいのだろうか

北海道旭川市で生まれました。「内地まで行かなくてもずっとここでいいっしょ」っていうのんびりとしたカルチャーで育ち、親も子どもを道外に出すのは好まない。でも僕は早く外の世界を見たかった。この環境から飛び出すために高校時代は「学びとは解放である」と思っていた節があります。一日十五、六時間勉強して志望の東京大学に入りました。それなら親も文句ないだろうと思って(笑)。

ところが大学に入ったばかりの頃は、授業に「絶望」していました。今ではそんなことはないかも知れませんが、当時、最初の頃は数百人の学生がすし詰めにされた教室での大人数講義ばかり。エアコンはなく、過去のノートをただただ朗読するだけのような授業もありました。朗読なので90分授業で数ページしか進まない。僕は興味が持てず、ほとんど授業に出ていませんでした。ただ、授業からは逃走しましたが、幸い大学から逃走することはありませんでした。ちょうどインターネットが入ってきた時期と重なり、情報教育棟にこもってひたすらプログラミングをしたりしていました。僕は、インターネットの世界に魅せられていました。
 
受け身の一斉授業がどうしても合わなかった僕は、高校時代に猛勉強してたどり着いた大学に落胆して2年間をやり過ごしました。そして「僕の人生は、なぜこんなに教育や学びに翻弄(ほんろう)されなきゃならないんだ」といった怒りや疑問が消えず、その理由を追いたくて、結局、教育学部を専攻しました。こうしてその後、「人間の学び」を研究するようになっていったのです。
 
人は元々は創造的で、学ぶことができて、変われる存在だと僕は信じています。しかし、それが社会の力、環境の力でそぎ落とされていく場合もある。例えば子ども時代って誰でも創造的だと思います。砂場で遊んでいる幼い頃は目をキラキラさせている。でもそれが学校に入ると、いわゆる偏差値教育に巻き込まれ、目からキラキラが失われていく。元々持っていたモチベーションや創造性を、さして意味のない他人との比較で奪っていく社会の力がものすごく大きい。これを何とかしたいという思いは強いですね。

大人は、萎縮した子ども?

教育を受ける年齢になると、創造的なはずの子どもが「評価」にさらされ、他人と比べられる。「お前はできない」とか「お前の偏差値なんてこんなもんだ」とか。こうやってどんどん萎縮していき、本来持っている才能や創造力を解き放つことができない。これが「大人は、萎縮した子どもである」と言われる状態です。
 
今、学生を見ていても歯がゆい気持ちを持つ時があります。「私はプレゼンテーションが下手で」と言うけれど、やらせてみたらすごくうまい。他者と比較されてきた子も少なくないので、自分の内なる力を自信を持って解き放つことができないんです。教師として僕ができることは、本来持っている能力を引き出せるようにツボを探してスイッチを入れることでしょうか。なかなか「入らないスイッチ」ではあるけれど、それがいったんジャストミートすると、若い人はものすごい勢いで変わっていきます。
 
僕は、幾つになっても人が変われる社会をつくることに貢献したい。それが人生を懸けた僕の闘いですね。次から、その詳細を伝えていきますね。(談)

なかはら・じゅん ●立教大学経営学部教授。博士(人間科学)。1975年北海道生まれ。東京大学教育学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科で学び、米マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学准教授などを経て現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発、組織開発を研究している。著書『働く大人のための「学び」の教科書』ほか多数。新刊は『サーベイ・フィードバック入門―「データと対話」で職場を変える技術』。
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