「人生のコントローラーを握れ」
中野 信子が語る仕事―3
ニートは可能性を持つか
イグ・ノーベル賞が研究の本義
今年も日本の研究者お二人がノーベル賞を受賞して、とても盛り上がりました。これから先、何年かはこの状態が続くと思いますが、少し難しい時代に入っていくのではと危惧する部分もあります。いかにもノーベル賞とか、いかにも世界で評価される仕事とかというものを政府が後押しし過ぎていて、非常にプレッシャーが強い状態ですから。
代わりに台頭してきているのが日本人のイグ・ノーベル賞受賞です。昨年は、床に置かれたバナナの皮を人間が踏んだ時の摩擦の大きさを計測した研究が物理学賞を受賞。今年も、キスでアレルギー患者のアレルギー反応が弱まることを示した研究で日本の開業医が医学賞を受賞しています。役に立たないかも知れないけれど面白いよ、というのが選考基準なのですね。
本来ノーベル賞も、すぐに経済や生活に貢献するものではないかも知れません。例えば宇宙素粒子観測装置「スーパーカミオカンデ」は、現在の暮らしや仕事で精いっぱいで、合理性しか考えられない人にとっては、なぜ必要なのかと疑問に思うものかも知れない。でも合理性だけで選んでいると、それは人工知能で置き換えられてしまう日がすぐに来ます。役に立たないかも知れないけれど、学ぶ喜びに注力することが生存戦略になり得るし、日本にとっては文化に注力する方向が大事だと思うのです。
そして、社会的な仕事の外にいるニートもまた、こうでなければという圧力の外にいる存在だと感じます。
「役に立っていない人」が知的財産を支える
合理性とか効率性を追い求めると日々忙しい。それに合わせるスキル磨きにも時間が必要ですから、無駄をやっている暇はない、となり、現在の日本では「働いて役に立っている人」と「働かず役に立っていない人」の二項対立を感じます。例えば「ゆとり」「さとり」「引きこもり」「ニート」など、言葉が出来上がって排除されていく。
でも、めまぐるしく動く社会から距離があるニートたちの視線や思考は、比較的自由です。自分たちなりの方法で経済活動をしていたりするし、文化の豊かさや教養の深さ、未来に資する様々なヒントを秘めていたりもします。
今、世界に向けて売り出しているアニメーションやコミック、ゲームなどの知的財産も彼らが支えた文化ですね。「役に立っていない」と言われて社会の働く場所から距離を置き、多くの時間を注いで育ててきたもの。本当にレベルが高い絵などがたくさんあるんです。でも、それが「クールジャパン」と呼ばれて評価が高いと見るや、政府が後から追いかける形で吸い上げ、この知的財産を国レベルで収益化しようと動き始める。役割を持たせ、硬直させてしまう。そうやった途端につまらないものになりますよ。仕事でやるんじゃ楽しくないからです。
ニートが面白いなと思うのは、意外とそういうことに気づいていて、誰か会社の偉い人たちに自分のハンドルを渡したくないのでしょう。「働いたら負けだよ」と言うニートもいるのは、自分のコントローラーをその人たちに握られてしまうのが嫌だから。それぐらいだったら、貧乏でも自分でコントローラーを握っていたいのだと思います。(談)