「人生のコントローラーを握れ」
中野 信子が語る仕事―2
自分を合理性で鍛えるな
人工知能や機械と同じスキルは必要か
子どもの頃から、私は就職というものとはなじめないと理解して、研究者の道を選んで歩もうとしてきました。それは、必ずしも合理的であるとは限らない「ヒトの生存戦略」を、うまく学習することができなかったからです。
近代以降は、合理主義が生活の中まで浸透してきましたが、これは、時代の流れが速くなったことに伴って、なるべく素早い意思決定を行い、競合する相手に先んじて行動する必要が生じてきたことによります。私が子どもの頃に経験したような受験戦争などは、その最たる例でしょう。
別の例では、例えば企業のような集団が早急に業績を上げなければならない時に、一手先の利益を得るには、仕事をする一人ひとりが考えて結論を出していくより、一人の意思決定者が素早く行動指針を打ち出し、それにみんなが従うという行動が最も有効です。経済合理性という観点からは、多数より一人による意思決定の方がスピードの点でも効率の点でも有利であり、勝負に強い。そして、経済的に強くならなければ、隣の集団に取って食われる切羽詰まった時代が続きました。
しかし現代から先の未来では、その合理性はコンピューターや機械が担うようになるでしょうから、若い人は数学や英語のスキルを必死に高めても、あっけなく取って代わられます。それならもう、機械ができることでは競わずに、人間の暮らしや歴史の中に引き継がれてきたものをうまく使いこなす、そういう知恵を磨く以外にないと思います。
それは何か。人が持つ倫理観、美しさを感じる力、楽しいとか、笑えるとか、歌や音楽とか、生活の足しにはならないけれど豊かなものの価値をきちんと評価することです。
加賀百万石の華麗な生存戦略
今の時代のビジネスや仕事は合理性で動くことがほとんどですが、実は徳川時代の加賀藩が、そこにくみせず生き残る素晴らしいヒントを残してくれています。
加賀百万石は日本一の大大名、石高で言えば徳川将軍家のすぐ次。財力も実力もあるから、将軍家にとっては目の上のコブ、脅威であり目障りな存在で、何かあればお取り潰しの対象です。それが分かっていたからこそ「当藩は軍備に財力を使わず、全ては戦力とは関係のない文化に使う」とアピールした。贅(ぜい)を尽くした建造物、豪勢なお茶屋の遊び、極上の料理、金箔(きんぱく)の工芸品や、楽器、絹織物、陶芸、菓子などあらゆる文化的な名産品を藩の財で作り、将軍家を安心させ、文化を花開かせた。何とも賢く豊かですね。
ヒトの脳では、美しいものを美しいと判断する領域と、正しいものを正しいと判断する領域が同じというデータがあります。つまり、元々人間は、美という非合理性を無条件に心地良く感じるようにできている生物でもあります。
日本には、数多くの文化遺産が埋もれたまま眠っていますね。近代合理主義の欧米のビジネス論やスキルを頑張って身に着けるより、そろそろ、日本の文化に根差した仕事の視点というものを見つける時が来たと思います。就職でも転職でも、効率性を求める「社会圧力」をひとまず疑って、自分を活(い)かすための自分の判断基準がどこにあるのか、探っていきませんか。(談)