「人生のコントローラーを握れ」
中野 信子が語る仕事―1
違和感まみれの子ども時代
普通に仕事に就くことは自分には無理かも
子どもの頃の話ですが、私にとっては当たり前の疑問を何の気なしに口にしたら、あっという間に孤立してしまったという苦い思い出があります。それは「授業で習ったのに、なぜみんなは100点取れないの?」という素朴な疑問。人がサーっと引いていなくなりました(笑)。
幼い時から周りの人は私を変だと言うし、確かに人とのやり取りがスムーズではない。友人の数が妹と明らかに違っている。周囲の反応や状況から、将来、普通に仕事に就くことはできないんじゃないかという不安を感じていました。どうも私は浮いているらしいという自覚はあったし、世の中は適応できる人が能力を発揮するものだろうと思っていましたから。
成績評価がある大学までは何とかなるかも知れない。でも、その後はそうはいかないだろう。就職活動で必ずふるいに掛けられてしまう。そうやって幼い発想ながら切実に悩み、勉強だけでも強みになる研究者を目指そうと決めました。
それからもう一つ、仕事を研究者にしようとした理由があります。それは、自分の何が、どうおかしいのかよく知りたい、人の振る舞いというものを分析したいという欲求でした。では、人間の振る舞いはどこが決めているのか。人間の「振る舞いの源」を人体の内に探すなら、脳だろう、と子どもながらに強い興味を抱いたのです。
なぜ、そう思ったのか。自分は、ずっと当時から推理小説の主人公に魅了されていて、例えばその小説の中には「灰色の脳細胞」と書いてあったりする。そうしたことが、人間の振る舞いの源は脳である、と考えるきっかけになったかも知れません。
合理的じゃないから人間らしい
脳の研究者になり知ったことがあります。脳というのは、人間の体の中ではちょっと異質な器官なんです。他の身体機能のように自律的に動くだけではなく、意思決定を行うことができる、つまり自分で選び取る機能を秘めているということですね。
例えば最近は人工知能が話題を集めていますが、計算や演算の能力が優れているので、ビッグデータがあれば、あとはその解析で、ある程度の人間の振る舞いを分析できます。その能力でカバーできることは相当あり、効率を高める経済合理性などの方法論は得意でしょう。
ところが脳は、「これはやってはいけない」とか、「人倫にもとる」とかといって、合理的に行動することを抑制してきたりする。例えば「ここは、自分が全部の分け前をもらって仕事仲間を排除したほうが得である」という状況でも、合理的なやり方をためらったり、選ばなかったりする。経済合理性とは別の倫理観、人としての美しさを尊ぶ思い、仲間への愛情などを重要視して長い年月を生き抜いてきたのが、脳の記憶している人間の本質です。
私は、効率化本位の働き方は人間にとって果たして幸福な生き方なのだろうか、という疑問を持つ一人です。効率化や合理化は、人を使う側の論理。ふと生じる違和感には、なぜこんなに嫌な気分になるのか、自分に対して耳を傾けることが、とても大切なことになるんです。(談)