「行動が仕事力の真ん中」
白石 康次郎が語る仕事―3
自分の「必死」を見たか
ぶち当たった壁はどうするか
24歳の頃、父からお金を借り、ヨットの師匠が残した船を買い取りました。そして、莫大な修理費を出してくれるスポンサー企業を見つけてレースに出ようと走り回りましたが、半年間ただの一円も得られませんでした。僕は自分の甘さを痛感しました。見も知らぬ若造が世界のヨットレースで勝負したって、支援した企業にはほぼメリットはありません。失敗したら支援は水の泡。「ハイリスク・ノーリターン」でしかない。僕は頭でっかちに自分の都合を言い募っていただけでした。
類がない企画だとしても、それにどれ程の価値があるのか判断するのは相手なのですね。僕には、相手のために何ができるかという考えが抜け落ちていた。しかし、その時は説得できる要素など何もないまま、僕は理屈を捨ててある親方に必死でお願いし、2年後、3度目の挑戦で単独無寄港無補給世界一周176日間を26歳で達成、当時の史上最年少記録を更新しました。
親方を始め手を貸してくださった人たちがじっと見ていたのは、「こいつは本気か、必死か」ということだった気がします。例えば仕事で大きな失敗をした仲間が、挽回(ばんかい)しようと一人深夜までオフィスで必死に仕事をしていたら、あなたは助けたくなりませんか。その人の、何とかしたいという張り詰めた気持ち、はっきりした目標が伝われば、それに手を貸すことに価値を感じる人は存在します。
きっと、自分が必死でなければ誰一人として共感してくれる人は現れないということです。あなたがぶち当たっている壁が見え、そこであがいている様子が分かってやっと、じゃあ自分の背中に乗ってみてという人が声を掛けてくれる。壁の前では現状丸見え、丸裸でなくてはならないのでしょう。
勝ち負けの前に、生き死に
僕たちのように大海原でのヨットのレースを望む人間は、レース前に顔を合わせると「頑張ろう」とは誰も言いません。合言葉は「セーリングセーフ!」、生きて帰ってこようぜと声を掛け合うのです。実際に数カ月に及ぶ単独レースでは指を失ったり、大けがしたり、海に落ちて命を落としたりするセーラーもいるからです。
それでも冒険せずにはいられない人間、それが僕らなんですね。支援を頂けるのは、冒険する行動へのエールに尽きると思っています。
だから僕は生きるか死ぬかを体験するために、真剣を使う武道の師匠に弟子入りしました。これは、瞬時に自分の死を感じる鍛錬です。海の上では何カ月もただ一人だけ。船に故障があれば自分で修理し、嵐も自分で乗り越え、体の不調、けが、毎日の食事、そして押し寄せてくる孤独。どんな窮地に陥って叫んでも、助けてくれるものはありません。しっかりと準備を整え、学び、覚悟して出帆したとして、最後に自分の命を救うものは何か。どうもそれは、やるだけのことをやって執着しないこと、のようです。
それは仕事にも通じるのですが、勝つか負けるかの結果を意識するのではなく、「やるだけのことをやって自分を信じろ」と言いたい。詰めが甘い場合や、やり足りなかったら気後れします。だからそれを埋め、心を平らにしていろと。やはり、まずは自分への信頼なのでしょう。(談)