「行動が仕事力の真ん中」
白石 康次郎が語る仕事―2
弟子になるという出発
夢につながる就職先がなかった
水産高校在学中に、単独世界一周ヨットレースに挑んでみたいという夢を抱いた僕は、その過酷なレースの一つ「BOCチャレンジ」の優勝者である多田雄幸さんに心酔し、会いに行くことができました。ヨットレースを楽しみながら世界で結果を残す天才肌の多田さんに魅了され、親しく教えを受けているうちに、高校のエンジニア専攻科に進んで2年、20歳で就職を決める時期がやってきました。
専門高校で5年間教育を受け、さらに航海に必要な多くの国家資格をすでに取得していた僕は、ありがたいことに就職では引く手あまたでした。でもどこにも、僕の夢をかなえられる「ヨットで単独無寄港世界一周株式会社」は、ない(笑)。あれば死に物狂いで就職活動をしたでしょう。インターネットがない時代で海外の情報も分かりません。思い余って多田さんに連絡をしたら、「俺についてくるか」と問われ、父の許しを得て、かばん一つで家を出ました。そして師匠の多田さんが亡くなるまでの5年近く、ヨットで単独世界一周ができるまでの技術と自信をつけさせてもらいました。
僕はよく、人生においての選択とは何かを考えます。大人は若い人に夢を持てと言いますが、その希望につながる就職先がなかったら、どんなアドバイスをするでしょうか。やりたいことがビジネス分野からはみ出すほど珍しかったり、日本国内での受け入れ先がなかったりしたら、「取りあえず就職して機会を待て」と諭すでしょうか。抑えきれない情熱を他に転換しているうちに、大切な胸の炎や行動力が冷え、諦めるのが実情かも知れません。
おそらく現代でも大切なのは、この人こそと信じられる師匠を探し当て、飛び込んで背中を追っていくことでしょう。安定は望めなくても、引かれる思いが消えなければ、それはあなたにとって本物の道なのだと思います。
何もないから頭を下げる
敬愛した師匠が世を去ったのは、僕が24歳の時。メインスポンサーはあるじのいなくなったヨットを売りに出しましたが、僕は買い取りたくても資金がありません。父に頭を下げてお金を借り何とか手元にとどめたものの、過酷な航海に耐えるにはさらに2千万円以上の修理費が必要でした。
その頃、フランスで開かれたヨットによる初の単独無寄港世界一周レースで、27歳の青年が完走して最年少記録を打ち立てたことを知り、僕の年齢なら記録を更新できると考えたんですね。そして生まれて初めて企画書を書き、スーツを着込んで、師匠などのツテを頼ってスポンサー探しを始めました。「世界記録に挑戦するから、成功したら御社の宣伝になる」と。半年回っても企業の回答はゼロでした。
それで、決死の覚悟で船を係留してもらっている造船所へ向かい、親方の前で両手をついて「船の大改造をやりたい」と懇願しました。親方は「道具や工具は好きなだけ持っていけ。飯もうちで食べればいい」と言ってくださった。スポンサー巡りを諦めたことで、僕は一生の恩人に会えたのです。
「諦める」ことは良くないという人もいます。でも僕は、勘違いしていた何もない自分を見極め、必死で頭を下げた。力を借り教えを請うことこそ、仕事の原点なのだと思います。(談)