「イノベーションを担おう」
田川 欣哉が語る仕事--1
仕事選びに迷走した日々
デザインという分野の衝撃
小さい頃から買ってもらったおもちゃをすぐにバラバラにして、それを元とは違ったアレンジで組み立て直していました。モノを作る仕事に引かれて大学も工学部。先生からは「エンジニアリング(工学)をきちんと学べばモノ作りができる」とも言われていました。そしてその大学生の時にインターンとして、世界的なヒット商品を手掛け、時代の最先端を走る大手企業に入ったのです。
しかし、学んだエンジニアリングで存分に仕事をと意気込んだものの、ここのモノ作りチームは全員が工学部出身というようなシンプルな構成ではありませんでした。文系、理系、芸術系と3職種が入り乱れて仕事をしている。例えば製品を作るために、どういう価格で、どんな機能を持たせ、どのようなターゲットユーザーに提供するかということに対して、その企画は文系が担当する。そして芸術系のアーティストがデザインを作り、最後に僕たちエンジニアがそれを具現化するという流れでした。
僕はそれまで、エンジニアがその3工程を全て手掛けると思い込んでいたのです。でも、少なくともこのメーカーではエンジニアの分担は3分の1ほど。僕が最も興味を持っていた「どんな形でどんな使い勝手にするか」を考えるプロセスは、アートやデザインを学んだ人たちの仕事でした。学生だったとはいえあまりにも無知で、現実を知った衝撃と落胆は本当に大きかったですね。
その時の衝撃は二つありました。一つは「こんなにかっこいいモノを作る人たちがいるんだ」というポジティブなショック。もう一つは「この人たちに自分の好きな仕事を半分は取られるんだ」というネガティブショック。ただ、デザイナーたちのスキルは感動するほど高く、工学部での学びだけではとてもかなわないというレベルでした。エンジニアの仕事はもちろん面白いしやり続けたい。けれどデザインも、僕の人生の仕事にしたいと強く感じたのです。
自分の仕事場所はないのか
やがてインターンも終わりに近づき、僕は面接で「エンジニアリングとデザインを両立させた仕事をここでやりたい」と本音を話したら、そのマネジャーさんの顔がどんどん険しくなっていったんです。「君ね、その気持ちは分かる。でもうちのエンジニアは世界最強集団、デザインセンターも世界最強。この二つがタッグを組んで製品を生み出しているんだ。君みたいなのが両方やろうなんて無理だ。悪いことは言わないからエンジニアになりなさい」と。その諭され方が僕には本当にショックでした。
「モノの中も外も一緒に考える」という望みの仕事は、この世の中では成立しないのか。唯一できる場所はこの企業かも知れないと思っていたので、社会というシャッターが目の前でガシャンと閉まったようでした。僕はそこから半年間くらい悩み続け、視野の狭い学生よりマネジャーさんの見解の方が正しいのだろうと、エンジニアとしての人生を考えてみます。でも朝、目が覚めるとまた「デザインも」と思っているんです。
これだけ考えて自分を説得できないなら、今判断してはいけないのかも知れない。こうして就職はやめ、迷う日々が始まりました。(談)