「イノベーションを担おう」
田川 欣哉が語る仕事--2
学友15人、英国での開眼
未知のデザイン学科があった
工学部で学び、エンジニアになればモノ作り全てを手掛けられると、学生だった僕は信じていました。しかし、日本トップクラスの電機メーカーにインターンとして入ると、企画のプロ、デザインのプロがいて、エンジニアはその具現化を担当する役割だと知ります。世間知らずの僕は、やりたかったデザインがメーカーではできないという現実に衝撃を受け、悩み、就職も見送ってしまいました。
悩み続けていたその頃、当時プロダクトデザイナーとして活躍していた山中俊治氏(現・東京大学生産技術研究所教授)に出会います。僕はすぐ事務所に転がり込んでインターンをさせて頂いた。工学部での学びとは全く違うデザインへの価値観がそこにあり、それはワクワクするほど面白く、深い。デザインも人生の仕事にしたい、腰を据えて勉強したいと本気になりました。
現在は変わりつつありますが、20年ほど前の仕事選びは、当時既に確立している職種に人を当てはめていくものだったと思います。だからデザインもエンジニアリングも両方やりたい僕は就職ルートからこぼれ落ちた。でも僕は自分の本音で進んでみたいと痛感していました。
日本で学べないなら世界のどこへでも行こうと探し尽くして見つけたのは、英国の王立美術大学であるロイヤル・カレッジ・オブ・アート。伝統的なアーティストから、家具の作り手や車の原型モデルを作る人もいる。クリエーティブな雰囲気の充満した環境でした。その中に当時創設15年目のデザインエンジニアリングの学科があり、僕のように「仕事に迷ってはぐれた」って感じの学生が世界中から15人ほど集まっていました。
学科には、サイクロン式掃除機のダイソン社などがスポンサーにつき、創業者ジェームズ・ダイソン氏が年に1、2回ほど来て、ビジネスとデザイン、エンジニアリングが結びつく必然を教えてくれました。こうして僕は自分なりの仕事を見いだしていきます。両親にはどれだけ心配をかけたことか。でもだからこそ諦めなかったのだと思います。
授業は、ひたすらの人間観察
そもそもデザインとは何か。それは「ユーザーありき」だと僕たちは授業で強烈にたたき込まれました。普通、工学部にいた人間は、飛行機を作る人は流体力学を学び、自動車なら構造力学、家電なら電磁気学といったふうに物理学に向き合います。まず人間と向き合うという意識からは遠いでしょう。
ところが教授は、デザインは生活環境の中に入っていくものだと言う。例えばテーブルならそれを人間はどう使うのか、その徹底的な観察から学問が始まります。人の行動を仮定し、カフェで数時間も観察して一挙手一投足、自分の予想との違いを検証する。マーケティングが数万人のデータで判断するのとは異なり、デザインはただ一人を追うのです。
来る日も来る日もこの観察と予想とのすり合わせを続け、更に細かく行動を予測する。誤差がゼロに近づくまで終わらないという繰り返しのきつさ。「デザインは執念か」と思いましたね。やがて人間の行動が見えてきた時、ああ、だからモノへと具現化できるのだと納得したものです。(談)