「社会貢献への思いと行動力」
高橋 公が語る仕事--2
知恵を絞り、動きに動く
NPOとして国の公募に挑んだ
2002年に設立された「ふるさと回帰支援センター」を運営して今年でちょうど20年になります。設立当時は、地方の過疎化や高齢化が大きな課題となり始めた時期で、私は連合で仕事をしている折に「100万人のふるさと回帰運動」を提案し取り組むことになったのです。しかし、退職した団塊世代が故郷に戻るのではという予想は思うように実現せず、センターを訪れる相談者も少なく、運営の厳しさは数年続いていました。
変化が現れたのは、08年のリーマン・ショックによって新卒者の就職が非常に難しくなった頃でした。およそ4割が希望する職に就けないと言われる中で、一部の人が地方移住を検討するようになったのです。その後、10年に国がNPOやNGOを対象に地域密着型の雇用創出案を公募しました。私たちセンターも、第1次産業の6次産業化で雇用を作り出すという「農村六起」事業で応募し、採択されました。
6次産業化というのは、1次産業である農林漁業者が生産物の価値を高めるために、食品加工(2次産業)や、流通・販売(3次産業)にも取り組み、この掛け算で収入を上げていく考え方です。例えば農家が育てた1本100円の大根も、地域で漬物に加工し東京で販売できれば数百円の付加価値が生まれるのだと。そしてセンターでプログラムを作り、農協と組んで全国で100人の起業家と3500人のインターンシップを募って普及していくという取り組みを続けました。
それが功を奏して地方でも仕事を生み出せる希望が増え、センターへの移住相談も軌道に乗っていったのです。運営に苦慮していた私も突破口を見つけた思いでしたし、直接現地へ行って人々に伝えるということの大切さも実感しました。
残念なことに翌11年には東日本大震災が起き、悲惨な状況になりましたが、私たちは農村六起の経験を生かそうと「復興六起」事業に動きました。具体的には被災地の岩手、宮城、福島、茨城の県北地域などの自治体から90人の起業家と400人のインターンシップを引き受け、ビジネスコンペを開いたのです。
目標があれば人は動ける
失意の渦中にあった地元の人々は何から手をつければいいかぼうぜんとしていたでしょう。それでもビジネスコンペの参加者一人ひとりが復興プランを提案し、私たちはしっかりと評価しました。ポイントはモノを作るということより、いかに売るかでした。地方はいいモノがあっても販売力が弱いと感じていたので、これから立ち上がるための経営には、業績を上げ雇用を生み出す視点が重要だと思ったのです。
こうして地元自治体とのネットワークも広がり、移住者支援の役割に手応えを感じられるようになっていきました。雇用があれば外に出た地元の人や、ボランティアとして駆けつけた若者がまた現地で貢献したいと戻る可能性もあり、実際にそういうUターンケースも増えているのです。一方、放射能被害に不安を感じる子育て世代が、温暖で自然災害の少なそうな瀬戸内海に面した岡山県や香川県などへ移住するという例も増加していきました。背後にはそれぞれの理由があると感じましたね。(談)