「社会貢献への思いと行動力」
高橋 公が語る仕事--1
地方移住の価値に気づく
過疎化の課題を肌で感じて
地方での新たな暮らしを相談する場「ふるさと回帰支援センター」を運営しています。センターの設立は2002年、50代半ばでこの取り組みを始めました。私は団塊の世代です。学生運動の真っただ中で闘い、そして大学を中退しました。社会の役に立ちたいという強い意志はあるものの、20代はその思いをどこに向けたらいいのか定まらないまま、当座の仕事に汗を流していたのです。
最初の仕事は、当時の築地市場で仲卸業者勤めでした。朝5時に魚河岸へ行き、競り落とされた魚介を仕入れに来た多くのすし屋や料理店に配達して、ほぼ午前中で終わり。労働時間は短いですが、機敏さや体力も必要で、誰でもできるような仕事ではなかったためか報酬がよく、4年半ほど働きました。並行して「神道夢想流杖術」という武道の鍛錬に通い、これが私の崩れない精神の支えになっていましたね。
築地をやめてから、縁あって政治家の選挙活動を手伝ううちに、知己を得た人が、私を勤労者の労働組合である自治労の採用試験に推薦してくれたのです。30歳までという年齢制限があるその試験に受かり、私は29歳と10カ月で就職を果たし、これからの道を見つけた思いでした。自治労の仕事は、労働者の賃金や勤務条件を守るための組合活動です。私は二十数年かけて全国約1千カ所ぐらいの自治体に足を運び、活動企画の策定などを行ってきました。
そうやって全国を訪ね歩くと、時代を追って地方の高齢化や過疎化の進む現状が痛いほど分かります。農業などの現場も担い手が減り、厳しくなってもほぼ打つ手がありませんでした。やがて私は自治労の中央組織にあたる連合に出向となり、都市と農村、漁村の交流運動に加わることになりました。地方を衰退させるわけにはいかない。そんな危機感が国の大きな課題としてはっきりしてきた時期でした。
約5万人の将来アンケート
その頃、私も加わって連合から「100万人のふるさと回帰運動」を呼びかけ、農協が応える形で具体化の検討が始まったのです。その結果、02年にNPO法人としての立ち上げが決まり、「言い出しっぺ」の立場から私が取り組むことになりました。スタッフ5、6人のこぢんまりとしたスタートでした。
まだ知名度が低く、なかなか移住相談者も集まらない中、04年に連合が組合員約5万人に向けて定年後の暮らしのアンケートを実施。40%以上が「定年後は故郷で年金を糧に悠々自適な暮らしをしたい」と回答してきました。団塊世代が2、3年後に60歳の定年退職を迎えるタイミングでもあり、これをきっかけに、地方へ戻って暮らすという選択肢に広く関心を持ってもらえると期待を抱いた出来事でした。
でも事はそう簡単ではなく、アンケートを取りまとめた後の06年に、「高齢者雇用安定法」の改正で雇用が65歳までに継続されることになったのです。もちろん勤務する人には喜ばしい改正ですが、多くの60歳が故郷へ戻ると考えていた私たちの思惑は外れました。相談者は思うように増えず、受け皿となる市町村の参加も進まず、苦しい試行錯誤が続いていきました。(談)